Skip to content

Cart

Your cart is empty

Article: 第3回:『プロデューサーとして初仕事です』

第3回:『プロデューサーとして初仕事です』
ふるさとP

第3回:『プロデューサーとして初仕事です』

 1995年、考えもしなかった展開、驚きでしかない展開でプロデューサーになってしまったわたしです。いま思い出しても素直に喜んだ記憶がないのです。「嬉しいけど……」、その「……」の理由は、制作デスク4年、アシスタントプロデューサー1年生だった自分が、プロデューサーとしては完全なる1年生になったのです。小学校1年生になった気分でした。あと、制作進行や設定制作時代は、常にまわりに真似ることの出来る先輩だったり、教えてくれる誰かがいました。でも、プロデューサー1年生のまわりに真似るための先輩、教えてくれる人はいません。と言うか、アニメ業界では、制作仕事のための教科書はありません。また、先生はいません。基本、勝手に見て覚えろ系なのです。いまの後輩たちに聞いてみても、ほぼ同じことを言いますので、現在も似たような感じです。改めて、制作デスクとプロデューサーの仕事の領域が全く違うのです。これが、1年生になった気分の一因です。プロデューサーとしてやるべき最初の仕事がわからないのです。なんとか、デスク時代の仕事とその時の各プロデューサーたちの動きを思い出すしかありません。でも、プロデューサーは外の仕事が多く、デスクの自分には見えなかったのです。とりあえず、やれるところからやるしかありません

と、ここで、第2回目に書いた、『なにかのRPGみたいな始まりだなと思いながらも、いやいやおかしいだろう素晴らしいアイテムや軍資金をもらえたわけでも仲間が増えたわけでもないのに、丸裸で福田監督に会うの?って(笑)。』の説明をします。

当時、サイバーフォーミュラは制作的にとてもきつい、しんどいアニメだとど定番の情報が流れていました。外注スタジオの社長さんたちもサイバーフォーミュラをやるくらいなら、他のタイトルをやるよって感じでけっこう辛辣な意見を耳にしていました。わたしは、勇者エクスカイザーの第1話で福田さんは知っています。演出家としてこだわりがある方ですから、尾ひれがついて福田監督の作品はキツイと流布されていたのです。だから、福田さんと会うには用意周到な準備が必要だと思っていたのです。その準備ってなんだよ?!ではあるのですが、でも、色々お土産が必要だろうと勝手に思っていたわけなのです。だから、アイテムとして武器や盾など欲しかったの比喩として書きました。いま、考えると、この武器って言うのはわたしが一緒にやろうと懇意にしているアニメーターさんたちであり、古里がプロデューサーになったあかつきには手伝ってやるよ、と言ってくださる演出さんや各分野のスタッフさんたちのことだったんだろうなって思います。

上司である指田さんに改めて呼び出されました。そこで、「古里がプロデューサーになるので、スタッフの選び方は好きにしろ!」と言うのです。何かしら含みのある言い方だなって思ったのですが、これは後でわかりました。いわゆる古里にプロデューサーが変わるので前のスタッフや外注の関係会社を変えても失礼に当たらないだろうってことなのです。つまり、新しいサイバーフォーミュラを気持ち良くやってくれるスタッフや外注会社をみつけろ、の意味があったのです。いやいや、それはそれで茨の道を歩けってことですか?とわたしは、頭のなかがぐるぐる状態でした。

プロデューサー1年生のわたしとしては、1991年のテレビ放送、OVA2作とやってきた作品なので、続けて慣れているスタッフが欲しいと思ったわけです。でも、テレビから5年経っているので、若干のスタッフの入れ替えはあっても良いのかなと考えました。

そして、福田さんに会うわけですが、企画書を見ながら言った最初の言葉「ゼロの時代から2年後がメインのストーリーになるんだ、つまりハヤトが19歳になるので、キャラ原案をいのまたむつみさんに全て描いてもらいたい」。さらに、「メカデザイナーの河森正治さんにサイバーマシンを全部描いてもらいたい」でした。わたしの頭のなかでは、全部リセットして作る、つまり、新作アニメを作るのと変わらないのでは?と自問自答しました。やるべきことの多さに、脳がパンクしそうになりました。でも、前の美術設定など使えるものもたくさんあるのです。5年の年月が生み出したレースシーンのレイアウトや原画、動きなどのBANKシステムなどのノウハウがありました。後で考えると、非常に頼りになる美術・背景さんも、編集さんも、音響さんもおりますので、サイバーらしさをどう作るのか?のノウハウがたくさんあったんです。良く考えると、わたしが一番サイバーフォーミュラのノウハウがないんです。プロデューサーの勉強は、サイバーフォーミュラを知っている方々から色々覚えることとなりました。

デザイナーに続いて、脚本家を両澤千晶さんに頼みたいとなりました。わたしは、「ん?誰?」となりました。実は、両澤さんは前のサイバーフォーミュラZEROで脚本を書いていたのです。ですが、名前を出していなかったので、わたしの知らないライターさん名だったのです。福田さんに色々聞くことで、すでに何本もサイバーフォーミュラを書いていることを知り、了解しました。それ以降、両澤さんとは、以降『新世紀GPXサイバーフォーミュラSIN』、『GEAR戦士電童』と一緒に仕事をすることになります。テレビ『機動戦士ガンダムSEED』をやっている時も、こっそりと電話をしてくださり、色々会話をしたことを思い出します。オリジナル物だからこそ、それぞれのキャラクターの動機から行動、過去のことなど全て考えなかければならないって言うことなど当たり前ですが、色々教えてもらったライターさんです。脚本って何だろう?脚本の良い悪いって何?などの考え方も両澤さんの教えがありますね。

 

日々、自分の予想に反してプロデューサーの仕事が勝手に目の前にやってきます。

わたしが考えて決めるとかでなく、色々な状況と思いがあってどんどんやるべきことが決まっていきます。初めてのことが展開していきますので、日々考えて行動して行くこととなります。基本、当たって砕けろ式で、プロデューサー業を覚えて行くこととなるのです。当時のことで思い出すことがあります。新しくもらった名刺にプロデューサーと付きました。また、新しい人に会う機会が増えましたので、名刺交換をする場面も多くなりました。名刺はどちらが先に渡すのか?など実は知らなかったのです。基本、伺った方だったり年齢が下だったりの者が先に渡すようです。わたしは、版元だったりしたので、相手が先に名刺をくださるのでそれに慣れてしまっているようで、後先についてきちんと調べていなかった気がします。いまだと、年齢が上になっているので、自分より年長者に会うことはほぼないのです。ああ、プロデューサーになったあの頃にいまの記憶を持って転生してみたいものです。でも、同じようなことをもう一度やるのはつまらないし、別な人生を送ってみたいと思ったりしますね。脱線してしまいました、戻ります。

 

吉井さんから始まり、中川さん、指田さん、福田さん、両澤さんに会いました。次は、福田さんの願い通り、キャラクターデザイナーのいのまたむつみさんです。そこで、連絡先を知らない自分はテレビ時のプロデューサーである吉井さんに紹介を頼みました。そして、西武柳沢駅の近くの喫茶店で会うことになりました。吉井さんのおかげで、無事にいのまたさんとお会いし、2歳年齢が上がるそれぞれのキャラデザインを描いて欲しいとの説明をしました。笑顔で「わたしで良ければやります」と、承諾してもらいました。さて、この後で、福田さんにいのまたさんのことを伝えると、安心した表情になりました。

 

次にやることは、いのまたさんのキャラ原案を元にアニメーション用の設定を描いてくれるアニメーター選びです。福田さんは、ここで幾つかのオーダーを出しました。ひとつめは、アニメ用のキャラクターデザインを描いたアニメーターが総作監もすることでした。ふたつめは、デザイン&総作監はサンライズのスタジオに入って欲しい、でした。と言うことで、わたしの仕事は、スタジオライブの吉松孝博(テレビ、11、ゼロのデザイナー&総作監)さんのスケジュールなどの状況確認です。バタバタと連絡を取ると、スタジオライブさんからの返答は、吉松のデザイン作業はやれます、ですが、総作監は他の作品との兼ね合いで無理です、となりました。このことを福田さんに伝えると「わかった。それでは、古里さんが描かせたいアニメーターはいますか?」と問いかけられ、久行宏和くんの名前を出しました。久行くんは、勇者シリーズからの付き合いで、メカ作監から作画監督になったアニメーターです。『勇者警察ジェイデッカー』は、各話作監がゲストのキャラクターデザインを描くシステムだったのです。そこで、久行くん作監話数のゲストデザインはとてもセンスが良かったのです。その時から、いずれ、自分がプロデューサーになった時に、デザインの仕事をお願いしたい、と考えていたのです。

 

どんどん会う人が増えていきます。マシンデザインの河森正治さんにも声をかけてOKを頂きました。わたしは、河森さんに会うのも初めてだったのですが、マクロスなど映画館で観て、メカデザインと監督など多才な方だとずっと思っていましたし、サイバーフォーミュラのマシンデザインも魅力たっぷりの方と仕事が出来ることは楽しみでした。河森さんとは、デザイン上がりの催促を夜遅めに電話しましたら、車のデザイン談義であっという間に1時間、もしかすると2時間経っていたことを記憶しています。勇者エクスカイザーの時、設定製作としてメカデザイナーさんとの会話は楽しかったのですが、河森さんとの会話はめちゃくちゃ楽しかったことを記憶しています。特に車のことではピニンファリーナやジョルジェット・ジウジアーロのデザイナーの作ったデザインは流麗で美しいですよね!など色々話した記憶があります。河森さんがサイバーの世界において、数社の車メーカーの役割もしているんだって考えました。世界観作りの大切さなど学びました。

 

福田監督と各クリエイターの打ち合わせもどんどん進んでいきます。

少しずつ、新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGAのアニメ制作が稼働してきました。でも、この時期はまだ仮タイトルで本タイトルは決まっていませんでした。いわゆる「SAGA」と付いたのは、けっこう後だった気がします。

そして、制作マンとして大切なスタジオ、いわゆる制作現場も仮でしたが、やっと場所も決まりました。さらに、大切なスタジオ名も決まりました。サンライズは、第1スタジオ、第2スタジオ、第3スタジオと数字が付いています。あの頃、若い数字に空きがなくて、後ろ側の数字の「第10スタジオ」の命名されたのです。わたしは、吉井さんにスタジオ名がないので付けて欲しいとお願いしましたら「第10スタジオ」と命名してくれました。その後、わたしのスタジオ名は、第8スタジオと変わっていきます。この第10スタジオは、わたしの最初のスタジオ名ですし、吉井さんが付けてくれたので、とても記憶に残り名前になります。でも、サイバーフォーミュラにちなんで「第0(ゼロ)スタジオ」にしたかったのは内緒です。 

 

古里尚丈(ふるさとなおたけ)

1961年5月3日生まれ。青森県出身。

1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。

2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』アソシエイトプロデューサーとして参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。

Leave a comment

This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.

All comments are moderated before being published.

他の記事

第2回:『わたし33歳、プロデューサーになったときのむかし話』
ふるさとP

第2回:『わたし33歳、プロデューサーになったときのむかし話』

25歳の夏、株式会社サンライズに入社し、制作進行、途中から設定制作として「ミスター味っ子」を担当し、設定制作として「勇者エクスカイザー」。制作デスクとして「太陽の勇者ファイバード」「地球の勇者ダ・ガーン」「勇者特急マイトガイン」「勇者警察ジェイデッカー」「黄金勇者ゴルドラン」を制作しました。そして、33歳頃「勇者指令ダグオン」の企画が始まった頃、色々考えることがあった悩み多き時期でした。アニ...

Read more