第5話:『プロデューサーのお仕事は手探りですが、何か?』
スタジオの場所もスタジオ名も決まりました。
制作進行さん、設定制作、デスク、制作事務さんなど若手もスタジオに集まってきました。
新しいスタジオですので、わたししかいないところに、人数が増えていきます。
福田監督もスタジオのなかに入り、少しずつかたちになっていきます。
しかし、わたしの自問自答が頭のなかをグルグルです。
「プロデューサーって何だろう?」
「プロデューサーの仕事って何だろう?」
特に、音響や宣伝、商品化については、分からないことばかりです。
設定制作、制作デスクの延長にあるシナリオ、デザイン、コンテなどの仕事は分かるので、そこは進めることが出来るのですが、プロデューサーのやるべき仕事が何なのか?なのです。
これは、前回でも書いたように教わったこともなければ、見習うプロデューサーの諸先輩の背中も目の前にないのです。
意を決して、福田監督に、前作の「11」、「ZERO」ではこのタイミングでは何をやったのか?を聞きました。福田監督は、テレビ、OVA・2作と経験者です。
素直に、聞きました。
福田さんの答えは、「うん、次は音楽関係かな?」。
実は、ここで大人の事情が加わるのです。
レコードメーカーがバンダイグループのエアーズになるのです。
そこで、エアーズから音楽プロデューサーの藤田(昭彦)さんの参加となりました。
藤田さんと福田監督、わたしで打ち合わせをしまして、作曲家はオーディションで行くこととなりました。
前作までの作曲家の大谷(幸)さん、他に数名の作曲家さんの名前が出て、その方々のCDを集めて、福田監督に聴いてもらいました。
ハヤトたちキャラクターが2歳年齢が高くなること、いのまたさんに新しくデザイン原案を描いてもらう、そして、アニメ用の設定を久行(宏和)くんに描いてもらうなど、色々新しくなっているなかで、福田監督は合わせて音楽もクラシック編成で大人っぽくしたいなどの要望があって作曲家は佐橋(俊彦)さんにやってもらうことになりました。
確かに、ストーリーも絵コンテ、キャラの芝居付けなどの演出などの見せ方も変わっています。
正直わたしは、メインスタッフが変わることが怖くもありましたが、やると決めた以上、頑張るしかないですから、兎にも角にも愚直に進めるしかないと思いました。
音楽について、いまでも記憶しているのは、佐橋さんと福田監督、音響監督の藤野さん、藤田さん、わたしが会って打ち合わせを行うのですが、すでに、前作の映像があることが強みになっていました。
佐橋さんは、きちんとビデオを見て勉強していたのです。
「サイバーフォーミュラSAGA」の音楽は、収録を計4回に分けることに決まりましたので、第1話と第2話分、第3話と第4話分、第5話と第6話分、第7話と第8話分と2話数ずつとなります。
最初の打ち合わせは、第1話と第2話です。
映像はなく、シナリオ、絵コンテのみですが、前作までの映像があるので、話が通じるのです。
また、音響監督の藤野さんが作成した音楽メニュー(必要な音楽をどのシーンに付けるのかを書いたメモ)を見ながら、第1話のそれぞれのシーンの説明をしつつ、各キャラの心理状態や音楽の使い方など説明して行きます。
福田監督が、よりドラマの深いところを補足説明します。
そして、福田監督が、前から話していたクラシック編成で行きたいことを伝えます。
佐橋さんは、クラシック編成でもドラムは入れて、車のエンジン音のようにリズムを刻みたいと考えてくれました。
そして、レースの疾走感をクラシックでやるために色々考えてくださり、「フーガ」を多用することに決めたと後で聞きました。
「サイバーレースに合わせて、音楽も追いかけっこをするんです」。
と、その意味を聞いた時、目鱗でした。
なるほど、音楽もレースをしているってことか!!
また、佐橋さんと藤田音楽プロデューサーが打ち合わせ後に、色々作戦会議をして、「サイバーフォーミュラシリーズ」は、若者たちの青春を賭けたスポーツ(競技)だと考えたそうです。
いわゆる、サッカー、野球、ラクビー、マラソンなどのように、基本競争(競技)があって、さらに若者たちの群像劇であり、若者たちの青春の物語でもある、と。
あとで、佐橋さんと色々お話する機会があったのですが、「サイバーフォーミュラSAGA」の打ち合わせ後、映画「ロッキー」の音楽が頭のなかに流れたと話していました。
「フーガ」ですね。
電童を終えた頃、ライターの両澤さんと雑談をした時に、「わたし、サイバーフォーミュラ好きなの、競争と言う戦いを描くけど人が死なないスポーツ物だから」と言われました。
これは、佐橋さんと藤田さんが「サイバーフォーミュラ」はスポーツ物だと考えたと言うのと根源は同じだと思ったのです。
当時、音楽の収録に付き合ったのですが、初めて見ること、初めて知ることが盛り沢山でした。一番びっくりしたのは、演奏家が譜面を見るのが、収録の数分前だってことです。
「え、お家で宿題のように練習ってしないんだ?!」。
現場を見て驚きしかなかったです。
ピアノの演奏家さんは、1回目のテストの数分前まで漫画を読んでいるのです。
「では、テスト始めます」の号令で、漫画本が脇に置かれて、鍵盤に向かうのです。
恐れおののくわたしです。
2回目のテストが行われて、色々調整して3回目が本番なのです。3分から4分の音楽が収録され、どんどん終わっていくのです。約20曲あったと思うのですが、午前から始めて夕方には終わりました。
わたしは、唖然しかないのです。
さらに、最初は楽器編成フルから始めて、どんどん楽器が減って行き、最後はピアノのみの演奏で終わった気がします。
でも、これは、以降色々な作品の音楽収録を見ましたが、違うやり方もあるんです。
あと、勉強になったのは、佐橋さんがご指名の指揮者の先生がいて、ご指名の演奏家さんたちがたくさんおり、また、エンジニアさんもご指名なんです。
これは、後に、わたしが、メインスタッフを決める時に、都度ご指名のスタッフがいると言うことに繋がります。付き合いが多いので、それぞれスタッフが情報共有されており、言葉少なめでもやりたいこと、やって欲しいことなど理解してもらえるのだろうと思うのです。
また当時、佐橋さんのお家にも呼ばれて色々お話をしたことを思い出します。
BGMの次は主題歌や挿入歌作りです。
これらは、藤田さんと一緒に作っていくのですが、ここでも初心者のわたしが色々覚えることが満載となります。
これから歌のこと少しずつ、書いていきますね。
プロデューサーがやるべきこと。
福田監督に聞いて、そして音響監督の藤野さんに聞いて、音楽プロデューサー藤田さんに聞いて、とそれぞれの部署のプロに色々教えてもらったことで、少しずつ前に歩んでいけたと思っています。
悩むより先に身体を動かせ状態で、目の前にやってくる仕事を必死にやっていました。ここでは書ききれないたくさんのスタッフに助けてもらったのです、つまり教えを頂いていたのだと、いまだと分かります。
改めて、各スタッフさんに「ありがとうございます」と言いたいです。
さて、いのまたさんのキャラクターデザイン原案のラフも上がってきました。
最初の上がりは、名雲とフィルの2名分でした。
実は、最初のラフは、いまの名雲とフィルが反対だったのです。
名雲が短髪でバシッとしたスーツ姿でちょっとだけいかつい感じがありました。
フィルは、金髪ロングヘアで華奢な若者でした。
それを見た福田監督は、「違うな」と言って、デザインを反対にしたのです。
つまり、名雲がロングヘアでスーツ姿。
フィルが、金髪の短髪(ショートカット)にです。
と言うことで、改めていのまたさんと福田監督の間で打ち合わせを組みました。
いのまたさんは、了解と言うことで、サイバーファンの知ってる名雲さんとフィルのデザインラインになりました。
福田監督は、時折これやるんです。
「電童」の時も、北斗の父親と銀河の父親のデザインを逆にしました。
隣で見ているわたしは、驚きとともに不思議な納得感があったりします。
最終的に、アニメになって視聴者のみな様に見てもらう時は、違和感が絶妙なバランスを生み出していたりするんです。
話が逸れますが、いのまたむつみさんが2024年3月10日に逝去しました。
わたしは、別件で2月28日にリアルで打ち合わせをしたばかりだったのです。
笑顔が目の前にあったのです。
そんなタイミングですので、連絡を受けたあと、茫然自失です。
何が起きたのか?理解不能でした。
わたしは、起業してからも色々なオリジナル企画書でキャラクターを描いてもらっていたのです。けっこう頻繁に電話、メールなどで連絡を取っていたため、いまも信じられないでいます。
あの目力のある魅力的なキャラクターたちを、新しく見ることが出来ないんです。
残念でたまりません。
いのまたさんは猫が大好きでした。
そして、飼い猫ちゃんも少し前に虹の橋を渡ってしまったので、寂しいなって話していました。うん、いまは大好きな猫ちゃんたちと虹の向こう側で、人懐っこい笑顔でいるに違いない……。
実は、2024年1月にわたしの似顔絵を描いて下さったのですが、宝物です。
大切にします。本当にありがとうございます。
わたしは、いのまたさんが描く目力が強く、凛とした表情の女性キャラが大好きでした。
自分の足で地面に立っている、そんなキャラクターが素敵だと感じています。
ハヤトの傍らにいるあすかも自我をしっかり持ってハヤトを支えています。
男性キャラも然りで、まっすぐ前を見ている目、その瞳の持つ清廉潔白さが主人公として魅力的です。合掌。
脚本も上がってきて、福田監督が絵コンテを描きます。
徐々にですが、前に進んでいきます。
次々に押し寄せる新しい仕事、さてわたしの目の前にやってくる新たな仕事は何になるのでしょう?
「サイバーフォーミュラSAGA」は、TVシリーズではなくOVAです。
オリジナルビデオアニメーションですね。
ということで発売元であるバップの田村(学)プロデューサーに会うことになります。
田村さんも作品のこと、制作のこともわたしより良く分かっています。
前作の「11」と「ZERO」の経験者ですので百戦錬磨の猛者です。まず、「サイバーフォーミュラ」大好きなお客さんのことを知っています。宣伝、販売と長くやっているのですから当然です。
ある日、指田さんとともにバップに行ってお会いしました。
ニコニコ笑顔の田村さんがそこにいました。わたしは、ちょっと緊張していましたが、田村さんから話しかけてくださった気がします。気さくなムードの田村さんに助けられました。
「SAGA」から「SIN」まで、合計13本とCDドラマ10枚の企画・制作など長く付き合うこととなります。だんだん、外堀も埋まってきました。
わたしは、まだまだプロデューサーの仕事について模索中です。
ちなみに、プロデューサーの仕事をある程度理解したと思ったのは、2004年秋の「舞-HiME」の企画・制作の頃です。成功と失敗を重ね、色々経験し自分が自身のことをプロデューサーと認めるまでなんと約8年かかったのです。
実は、名刺を出す時に、自分は本当にプロデューサーを名乗って良いのか?と自問自答しておりましたので、やっとですが少しは自分を認めても良いと考えたのは、「舞-HiME」のあたりからなのです。
この原稿を書くにあたり、楽しいことが思い出されていますが、正直失敗や辛いこともたくさんありました。新人プロデューサーの歩むアニメ道はやはり険しいのです。
追伸:
YOUTUBE「ふるさとPアニメ道」もスタートしましたので、ぜひぜひチャンネル登録の上、ご覧くださいませ。
🔻リンクはこちら
HTTPS://WWW.YOUTUBE.COM/CHANNEL/UC_JRVVLJSFUHGMXPCVYUQ5A
🔻ふるさとP写真録:今週の一枚
古里尚丈(ふるさとなおたけ)
1961年5月3日生まれ。青森県出身。
1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。
2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』アソシエイトプロデューサーとして参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。
Leave a comment
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.