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Article: 第14話:『全て中途半端だった自分がやれることがアニメだった(後編)』

第14話:『全て中途半端だった自分がやれることがアニメだった(後編)』

前回に引き続き、後半を書きます。

 

さらにさらに影響を受けたのは、ある音楽です。

アーティスト瀬戸龍介氏の「五六七(みろく)」のレコードにある「スサノオノミコト」です。和とロックが混じったプログレ。

それこそ、スサノオノミコトの物語を謡うのです。

ヤマタノオロチを退治するシーンもあるのです。

聴くと絵が浮かぶ、そんな歌と曲です。

 

高校生時代にラジオで聴いて、テレビでも見て、和楽器とエレキギター?の音色は新鮮でした。実は、20歳の頃に新宿のレコード店でアルバムをみつけたときは、めちゃくちゃ嬉しかった記憶があります。ですが、このレコードはCD化されていないのです。だから、レコードからデジタル化して、いまは、MP3のデータにして聴いています。

ですが、英語版の「五六七(みろく)」はCD化されているので、これは素直に買いました。

正直、いまからでも日本語版を発売して欲しいわたしです。

 

和洋折衷の音楽は高校時代からいまも好きです。

 

だからなのか?「舞-HiME」では梶浦由記さんに音楽をお願いしたんだと思っています。

志方あきこさんがBGMを作曲した「クロスアンジュ〜天使と竜の輪舞」の音楽も民族音楽系で和が漂ってます。

 

やはり好きなラインです。

 

「スサノオノミコト」は音楽のみならず、物語やキャラクターも自分の創り上げた想像のなかで好きになっていたみたいです。

2004年から宝塚に触れて、雪組の公演「スサノオ」を観たときに、わたしが高校時代から描いていた想像と近くてびっくりした記憶があります。

主役のスサノオを演じていた朝海ひかるさんはわたしには、マジにスサノオにしか見えず!でした。また、敵のヤマタノオロチの見せ方に思わずうなりました。美しくも妖しい美青年が登場するのですが、それはヤマタノオロチが化身した青年なのです。さらに、本来の姿に戻ると、舞台上に数30~40人?の演者が大きなうちわのようなものを持って群舞をやるのです。それらフォーメーションが8本の頭と首の動きを表現し、うちわがウロコを持つ龍の身体に見えるのです。

舞台ならではの魅力的な見せ方ではあったのですが、もし、アニメ化するならと考えたときにめちゃくちゃ役に立つと、思った訳なのです。

 

主人公のスサノオノミコトも好きなのですが、実は、敵のオロチでもある「龍」も大好きなのです。当然、昇り龍や降り龍も好きです。お寺さんの鳴き龍の絵も大好きです。

よって、龍脈も好きです。「アウトロースター」のときに、宇宙の龍脈をモチーフにした設定があって、内心ワクワクして担当していました。

西洋ドラゴンも次に好きです。3本首のドラゴンも好きです(笑)。

ちなみに、「電童」の最終回には、7本の首を持つドラゴンに似たモチーフの敵が出てきます。「クロスアンジュ~天使と竜の輪舞」に至っては、人間の男性が竜に変化しますし、その竜ハンターの女の子たちの物語です。

 

と、日本神話を好きになったのは、「スサノオノミコト」からです。

そこから、「古事記」、「日本書紀」も読むようになりました。高校生の頃のことです。

アニメだと東映動画が作った劇場版「わんぱく王子の大蛇退治」の天馬の天早駒(アメノハヤコマ)にまたがった子供のスサノオが空を飛んでの空中戦でヤマタノオロチを倒すシーンは必見です。この映画を高校時代にテレビでの放送を見たときは、凄いなって素直に思いました。ちなみに、これにも宮崎駿さんが加わっておりました。

 

わたしは、海外のハードSFよりは、日本のSFが好きでした。単純に、文化や環境、宗教が違う中でより難しいSF(サイエンスフィクション)を理解出来なかったのです。読解力がなかったのですね。

 

SFと同様に神話も、ギリシャ神話やインド神話、北欧神話も読んでいますが、やはり日本の神話がお気に入りでした。

あまり大っぴらに言えませんが、わたしは偽書とされている神話や大昔の日本のことを書いた「竹内文書」や「富士文書」、「九鬼文書」なども好きでこれらはファンタジーとして読んでいます。青森県出身のわたしは、「東日流外三郡誌」などもファンタジーとして読みました。

 

あと、永井豪先生の「魔王ダンテ」も子供の頃に読んで、かなり影響を受けました。

神と悪魔の定義について色々考えることが出来ます。

石川賢先生の「魔獣戦線」も大好きです。初版本の単行本を持っています。わたしにとって、心のバイブルなのです。

 

これら作品からは、「目の前にある情報を、鵜呑みにするな!!」と「色々な角度から見て考えろ!」と言われた気がしておりまして、わたしの考え方の根源のひとつになってます。

 

さらに、中学のときに読んだ小説。

光瀬龍先生の「百億の昼と千億の夜」これも多感なあの頃に物事の考え方について、「魔王ダンテ」とともに、かなり影響をもらった小説のひとつです。

「百億の昼と千億の夜」を原作としてコミカライズを漫画家の萩尾望都先生が描いているのですが、こちらもめちゃくちゃ面白かったです。

この小説、漫画、遠い遠い未来56億7千万年後に弥勒の救済があると書いているのですが、リアルに考えるとその頃は、太陽は膨張し赤色巨星となるようです。と、なると、地球は暑すぎて生物は死滅するでしょう。

となると、未来の救済はないことと同義に思えるのです。

ここで言う救済ってなんだろう?です。

人類の終末、地球の終末、太陽系の終末のことを考えた中学生でした。

人間の寿命で考えると、そんな超未来のことを考えるだけ無駄だと言うのも理解出来ますので、答えの出せないことを考えたりしました。

 

ちなみに、中学生のときから読んだ月刊誌「マンガ少年」(1976年~1981年)の漫画にもかなり影響を受けています。

竹宮惠子先生の「地球へ…」も大好きな大好きな作品です。人間の種の進化について、色々考えました。

 

思い返すと、小学校高学年の頃、友だちとノートに漫画を描いて、数名の友だちに回して読んでもらうようなことをやっていました。

わたしを入れて 3 名くらいが漫画を描いたでしょうか?

正直、わたし以外のふたりの漫画は上手でした。

わたしは、コマ割りもストーリーも絵も下手くそでした。

上手かったら漫画家になってますので、やはり、下手だったんです(笑)。

 

中学 1 年生のとき、担任の女教師とクラスメート全員が交換日記をやっていました。

いま、考えると先生シンドかっただろうなって思います。

 

そのときは、日々起きたことや考えたことを素直に書いていたのですが、ある程度時間が経つと、SF ショート小説を書いてました。何本書いたのか?ですが、そのノートは残念ながら手元にありません。多分、20 本~ 30 本書いた気がします。

 

そして、長編小説は挑戦しましたが書けなかったんです。

よって、小説家にもなりませんでした。

ごめんなさい、なれませんでした。

 

そうなのです。思いはあれど、長く続けて書くことは出来なかったし、プロの道に進むことは出来ませんでした。

 

東京に出て、写真の専門学校に入っても、センスなくプロカメラマンになれないことが分かりましたし。

 

とにかく、20 歳あたりの自分は、何を仕事にしたら良いのか?自分に何が向いてるのか?あってるのか?

好きなことを仕事にしたいけど、それだけではないことも理解してきた頃でした。

 

夢や希望があっても、現実にぶつかりどうやって未来に進めば良いのか?

悩み深い時期でした。

 

専門学校を出てから、西荻窪にある小さな写真屋さんにバイトで入りまして、半年くらい仕事をやりながら、その間に一生懸命に考えて、灯りが見える方に行ってみました。

それが、アニメの仕事は面白そうだ!だったのです。

 

まず映画、テレビ、ビデオ業界は魅力的には見えませんでした。漫画を、読むのが好きな自分として出版業界は!?とも考えましたが、外から読んでるのが幸せな気もしました。ゲーム業界は始まったばかりの時代でわたしのところまで情報が来てませんでした。

 

子供の頃に観ていたアニメ、特に、富野由悠季監督、宮崎駿監督、出崎統監督たちの作ったアニメはキラキラ輝いていました。

そして、ある日本屋さんで日刊アルバイトニュースに日本アニメーションの制作進行募集が載っていたのをみつけるのです。

ん?ここは、宮崎駿監督の「未来少年コナン」の制作会社だ!と気づき、モチベーションが上がり日本アニメーションに電話し面接からの入社。

 

さらに宮崎駿監督の元、スタジオジブリで「天空の城ラピュタ」の制作進行。

ついに、「ガンダム」の富野由悠季監督がいるサンライズで制作進行をやり、いまに至ります。ただ、面白いのは、サンライズでは「ガンダム」関連の進行をやれなかったのです。

縁がありませんでした。そこは、とても残念な気持ちがいっぱいです。

 

好きで観ていたアニメを作った制作会社や監督のいる会社に入社出来たのは何故なんだろう?です。

実は、絶対にそこに入るんだ!って考えたことはないのです。

勝手に目の前に現れるような、そんな感じで入社したのです。

 

深層心理のなかにある想いが呼ぶのか?近づくのか?

偶然と言う名の必然だったのか?

 

兎にも角にも、21歳から63歳のいままでアニメの仕事は続けてやれてきました。

わたしには、「漫画を描く、小説を書く、演出、監督をやる」などの才能はありません。

でも、ふと気がつくのです。

 

わたしは、撮れないから、書け(描け)ないから、だからこそ才能豊かな最高の彼らにやってもらえば良いのです。

と言うことで、プロデューサーになれました。

さらに、長く続けることも出来ました。

 

わたしのいるべき場所、やるべきことを何とか見つけることが出来ました。

いまだからこそ、思うのは「好き」なことは大切です。

 

でも、もっとも必要なのは、「長く続けて飽きない」ことかなと思うのです。

仕事ってまるで、お米みたいです。

お米って毎日食べても飽きない、何十年食べても飽きません。

63歳のわたしは、お米は飽きたことないです。

 

日々やり続けて「飽きない」が大切で重要な気がしてます。

わたしは、運良くそれが見つかりました。

 

それが「アニメ道」です。

 

そして、「三つ子の魂百までも」のように、子供の頃に読んだ、見た、考えた、好きになった神話や物語、音楽などが、アニメを作ることへのモチベーションや企画発想のヒント、また、「やれない!書けない!描けない!」自分だからこそ、客観的に視る癖もつきました。

そんな客観的な自分がプロデューサーに向いている気もしています。

遠回りもしたのですが、いま思うと意味のあることだったのかも知れません。

 

仕事は、何千、何万種とあると思います。

そこから、自分に合う仕事を選ぶのは、めちゃくちゃ大変だと思うのです。

さらに、その仕事を経験してみないと自分に合う合わないもわかりません。

また、自分だけの意見でなく、親や友達、先輩などの客観的意見も大切な要素になります。

 

もし、今回の前後編ですが、若者の皆さんの何かしらの一助になったであればとても嬉しいです。

 

 

追伸:

YOUTUBE「ふるさとPアニメ道」もスタートしましたので、ぜひぜひチャンネル登録の上、ご覧くださいませ。

🔻リンクはこちら

HTTPS://WWW.YOUTUBE.COM/CHANNEL/UC_JRVVLJSFUHGMXPCVYUQ5A

 

🔻ふるさとP写真録:今週の一枚

 

 

 

古里尚丈(ふるさとなおたけ)

1961年5月3日生まれ。青森県出身。

1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。

2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』アソシエイトプロデューサーとして参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。

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