第25話:『ジブリ時代は、ふるさとの青春時代でした』
2024年8月30日金曜日21時、日本テレビで「天空の城ラピュタ」の放送がありました。
何回目の放送なのでしょう?
メールが普及した頃から、テレビ放送されるたびに、特にエンディングで自分の名前が流れると、「いま、ラピュタ見ているよ」、「名前を見たよ」、「古里くん、本当にラピュタの進行やってたんだ!」、「バルス」、「すごいですね」etc。
いやいや、すごいのは、宮崎監督をはじめ、スタッフたちです。
1986年8月に劇場公開から38年ですか?
長い年月が流れても、皆さんに見てもらって、面白いと言う声が聞こえて来るのは、これまたすごいことです。
わたしは、ほんの少しだけ制作進行としてお仕事をしただけです。たまたまの偶然が、こんなにすごいプロジェクトに参加できたのだと今更に思いますね。
そして本音は、久しぶりに映画館で大きなスクリーンで観たいですね。
いまの年齢で観たら、当時とは違う感想がある気もします。
テレビではすぐに観ることはできるんだけど、ラピュタは映画館で観るために作られていますので、大きなスクリーンで観ることで、色々な気づきが生まれると思います。
わたしも、一般のお客さんと同じ立ち位置で観ることができる気もしますので、どこかの映画館でやってくれないかしら???です。
今回、原稿を書く、YouTube動画で喋る、などなどで、ジブリ時代とラピュタのことを思い出してみたのですが、正直色々忘れているし、書けない話せない事件もありました。
本当は、そんな事件の方が内容は面白いんですが、難しいですね。
改めて、原画頭、原画マン、動画マン、仕上げ、背景、特殊効果、演出助手、制作デスク、進行の面々……。
名前と顔を思い出しても、あの当時のみんなが若かった頃のお顔です。
笑顔、真剣な顔、お茶目な顔が思い出されます。
スタジオ内のどのエリアに誰が座っていたかとボンヤリと思い出します。
宮崎監督の書いた脚本が上がり、それ以降イメージボードを描いて壁に貼っていく。
そして、絵コンテを描いていく、改めてイメージボードを描く、絵コンテを描く……。
そんな流れで進んでいったかと思います。
絵コンテが上がると、原画マンを呼んで作打ちを行いますが、そのときに、壁にあるイメージボードをコピーして渡す、あるいは、原画マン自らコピーすることもありました。
当然、丹内さんが描いたキャラ設定もあります。
美術監督の野崎(俊郎)さん、山本(二三)さんの描いた背景ボードも素敵でした。
おふたりの描く背景ボードは、それぞれの個性がしっかり出ていて、わたしは少し乾いた感じのする町並みを描く野崎さんの絵、大好きでした。
山本さんは、少しウエットで艶っぽい感じの背景ボードだったように記憶しています。
互いの個性が世界をより広げていったと思うのです。
おふたりが、場所ごとに分けてシーンの背景ボードを描くのか?と思うと、おふたりとも同じシーンの背景ボードを描いたりするのです。
わたしには、見えない法則があったんだろうと思うので、その理由を聞いてみれば良かったなとあとになって後悔しました。
そして、山本さんが、お花見で怪我をしたみたいなことを聞いたときに、進行たち全員が色めき立ち言った言葉は、「右手怪我してないですよね!」でした。
あとで、「わたしたちって人でなしだねぇ」と言い合いましたよ。本当に、すみません。
色指定の保田道世さん。
保田さんとは、日本アニメーション時代「ミームいろいろ夢の旅」から一緒に仕事をしています。そうなのです、わたしが日本アニメーションで制作進行として新人時代を知っている方です。
正直、怖い大先輩のひとりです。
あ、いつも怖いわけではないですよ、わたしがミスしたときに、ドカンと雷が落ちるのです。
あと、音楽の久石(譲)さんの事務所に資料を届けるために、行ったことがあります。
六本木駅で降りた記憶があって、何だか高級住宅街を通って駅からそれなりに歩いた記憶があります。聖蹟桜ヶ丘(日本アニメーション)、吉祥寺(ジブリ)、西荻窪(当時の自宅)がメインの人間として超お洒落な街には基本行ったことがないので、何だか居心地が悪かった気がしましたね。
住所と地図を頼りに無事にたどり着きました。
さらに、宮崎監督、高畑さん、久石さんたちが、音楽の打ち合わせに仮眠室として使用していたスタジオの近くのマンションの一室を使ったことを思い出します。
わたしのなかに印象的にお顔の記憶が残っている大先輩、プロデューサーとして立っていた高畑(勲)さん。
わたしは、高畑さんがまだ日本アニメーションにいた頃の色々スーパーなうわさが耳に入ってきたすごい演出家さんであり、また大好きな「赤毛のアン」などの監督でもあるので、大尊敬の大大大……大先輩です。
その高畑さんが、ある日スタジオにある会議室におりました。
高畑さんは、とても背丈が高いのでどうしても目線が上がります。
そして、いつも穏やかで、ニコニコしているのです。
わたしが会議室のドア外から覗いておりましたら、気がついたのか、高畑さんから声をかけてくださいました。
高畑さんは、ちょうどご自身が携わっている「柳川堀割物語」のことを教えてくださいました。わたしは、どんな映画を撮っているのか?と、全くわからず頭のなかではハテナとなりました。
高畑さんが、水の都と呼ばれる福岡県柳川市の水路、堀割の様子を撮影して編集しているとのことですが、想像がつきません。ドキュメンタリーなのはわかっても、どんな物語になっているのだろうと思いました。あとで、わかるのですが、宮崎監督が予算面で相当な工面をしたことを聞いて、大変だったことを知りました。
YouTube動画の方で、少しだけお見せした絵コンテも、捨てずに取っておりました。
押入れの段ボール箱に入れていました。カビも生えず、割合綺麗に取っていましたので、いまでも絵がしっかりと見えます。今回、改めて見たのですが、絵コンテですでに面白さが溢れ出てきます。
分厚い絵コンテですが、これからも大切に取っておきたいと思います。
次は、いつ手に取って見ることになるのだろう?それも、また楽しみです。
あと、当時のアニメージュ11月号もまだ手元にあります。
特集に、アリオン、天使のたまご、天空の城ラピュタがあって、ラピュタのページには、集合写真が載っています。
その写真に、なんとわたしも写っています。端っこにいます。
もし、持っている方がおりましたら、見てみてください。
🔻ふるさとP写真録:今週の一枚
追伸:
YOUTUBE「ふるさとPアニメ道」もスタートしましたので、ぜひぜひチャンネル登録の上、ご覧くださいませ。
🔻リンクはこちら
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古里尚丈(ふるさとなおたけ)
1961年5月3日生まれ。青森県出身。
1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。
2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』アソシエイトプロデューサーとして参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。
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