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Article: 第21話:『原画頭はとっても優しい兄貴!です』

第21話:『原画頭はとっても優しい兄貴!です』

ジブリ時代で思い出すのは、アニメーターの、「金田(伊功)」さんです。

 

さらにご自身が乗っていた軽自動車のスズキ「ジムニー」のことです。

「これ、誰か乗らないかな?」と、金田さんが話していたことが小耳に入りました。

わたしは、その時本音では欲しかったのですが、23歳の若輩者で貧乏で駐車場を持っていないことなど考えると「下さい!」とは言えませんでした。

 

四駆のジムニーは非常に味のある車でしたので、乗りたかったのです。

そして約3年後、サンライズに入ってすぐに旧車のシビックをもらうわけですから、わたしは旧い車に乗る運命だったのでしょう。

 

本当のところ、わたしが貧乏でお金を持っていないので中古しか買えなかったのですが!!

 

金田さんは宮崎監督が命名した「作画頭」と言うネーミングから、みんなに「頭(かしら)」と呼ばれていました。

 

わたしは、高校時代から観ていた「ボルテスV」のオープニング、「ダイターン3」の金田さんの作画話数、「ドンデラマンチャ」の金田さん絵コンテ作画話数、劇場版「地球へ…」、「銀河鉄道999」、「幻魔大戦」、「ヤマト」などの戦闘シーンの作画が大好きでした。

 

炎が龍のようになって暴れているカットはいまでも思い出します。

 

キャラクターが両腕を水平に伸ばして、足を曲げてジャンプするアクションが印象的で、そして、手前奥のオーバーパースを金田パースと呼ばれており、特殊なコマ打ちでフルアニメから超リミテッドアニメと読めない動きを、します。

 

ディズニーアニメや通常の動きとは違うのです。実写ではない作画なんだから、自由な画作り、動きのタイミングと魅了されました。

その金田さんと一緒に仕事が出来るのですから、この上ない喜びでした。

憧れの人です。

 

他にも、「メモル」や「ムーミン」の名倉(靖博)さんもとても素敵なアニメーターでした。

ロボット兵の壊れた部分のメカがムニョムニョと動くのが気持ち悪くて大好きです。また、シータの持つ飛行石から漏れる光のフォルムも好きでした。ちなみに、過去回想シーンのおばあさんと子供シータのところも味わい深いのでやはり好きです。

原画に描いてある「線」そのものに味があるのです。すー、と引いている線なのですが、アナログの局地と言うか、個性的な「線」を描くアニメーターでした。

当時、サイン色紙にメモルを描いて欲しいと心のなかで思っていたのは、マジに内緒でした。

 

「スペースコブラ」の大塚(伸治)さんも、わたしにとって憧れのアニメーターさんでした。わたし、出崎監督のアニメ大好きなのです。その作品に携わっている大塚さんとは、なるべくファンですと思われないようにと会話をしていました。

でも、ファンと言うことはバレバレで、とある方が当時のテレビシリーズ「スペースコブラ」劇場版「エースをねらえ!」の絵コンテのコピーをくださいました。

いまも大切に持っています。このくださった方がどなただったのか?忘れているのです。本当にごめんなさい。そして、ありがとうございます。

 

高坂(希太郎)さん、川崎(博嗣)さんとは、日本アニメーション時代に「ミームいろいろ夢の旅」のとある話数で、OHプロのアニメーターとして参加していましたので、知っている人がいるぞ!状態です。知らないスタッフばかりのなか、知っている方々なのです。あと、高坂さんは同学年なのもあって、話しやすかったです。

 

森友(典子)さんは、わたしが日本アニメーションにいるときに、名作アニメの作画監督をやっておりましたので、知っている方3人目となります。

 

「ルパン三世 カリオストロの城」でフィアットのカーチェイスシーンを担当している友永(和秀)さん、フラップターで飛び回るシーンの一部やラピュタ島の根っこの辺り、シータを助けるために走り回るパズーのアクションを描いていたと思います。

そして、作画監督の丹内(司)さんのおふたりは良く夜中に御自宅まで送りました。

色々、会話が出来たのです。

このときに話したことは、後の仕事で役に立っています。

仕事についてかなりディープなことを話してくれていたんだと、今更に思います。

わたしのような小僧で若造に、ジブリのこと、ラピュタ、アニメ業界のこと、原画仕事のことなど話してくれました。

あ、ちょっと愚痴もありました。でも、愚痴を言ってくださるのは、聞いている若造としては嬉しかったりもしました。

ちなみに、丹内さんの原画で記憶にあるのは、パズーとシータが地下に落ちていった洞窟内、美味しそうなパンを食べるふたりのシーンです。何年も経っているのに、目玉焼きが乗ったパンが記憶に残っています。

 

実は、金田さんと数年後にまたまた一緒に仕事をするのです。

わたしがサンライズに入ってすぐの仕事

「ミスター味っ子」の44話です。

海の上を走る味皇さまの作画をやってくれました。作画監督は土器手(司)さんです。

この話数に原画として金田さんが参加してくれたのです。

作画打ち合わせのお知らせで電話して、古里ですとお伝えしたときに、金田さんはすごい驚いてくれました。

そして、作打ち当日に、「お久しぶりです!」と会話しました。

回収時にも色々お話ししました。

 

アニメーターと制作進行の関係として、わたしの話数の担当なのがマジに嬉しかったです。

ジブリにいるアニメーターのなか、動画マン、動画チェックのメンバーは年齢が近かったので、他愛のない話しを良くしてました。

 

 

わたしが、大好きだったのは、動画チェックの小沢直志さん。

リーゼント、革ジャン、皮パン、大型バイクと粋の極みです。わたしにとって、ハードボイルドを絵にしたような方です。

 

ちなみに、わたしは「ハードボイルド」の訳として「痩せ我慢」と答えています。

 

本来「固茹で玉子」が正しい意味です。そして、詳細の意味として、「感情に左右されない」、「非常」、「妥協しない」などの意味です。

さて、推理物、ミステリーものに出てくる探偵が自身の格好を変えないとか、旧くても乗り続ける車とか、こだわりを持った人間こそがハードボイルドを徹底している人なんだと思っているのです。

暑くても革ジャン。

どんなに忙しくてもリーゼント。

本当に素敵です。

 

当時、夜遅くまで、同年代のアニメーターさんたちと日々一緒にいますので、ある意味学園祭の前日のようなノリで楽しかったなあ!

 

あと、女性アニメーターさんで、紅茶を淹れるとついでだと言うことで制作にも淹れてくれる方がいました。

非常にレアタイムで、ほんの少しだけお姉さんだったので、それこそ「神」と思ってましたね。いま、どうしてるのだろう?

ああ青春。

 

 🔻ふるさとP写真録:今週の一枚 

 

追伸:

YOUTUBE「ふるさとPアニメ道」もスタートしましたので、ぜひぜひチャンネル登録の上、ご覧くださいませ。

🔻リンクはこちら

HTTPS://WWW.YOUTUBE.COM/CHANNEL/UC_JRVVLJSFUHGMXPCVYUQ5A

  

古里尚丈(ふるさとなおたけ)

1961年5月3日生まれ。青森県出身。

1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。

2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』アソシエイトプロデューサーとして参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。

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