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記事: 第20話:『ジブリ時代はポケベルの思い出と最初のお仕事は駐車場さがしです』

第20話:『ジブリ時代はポケベルの思い出と最初のお仕事は駐車場さがしです』

あの頃のジブリは吉祥寺のとあるビルの2階のスタジオにありました。

当時、まだ制作進行はわたししかおりません。

そんなわたしのお仕事って何だったか?を考えました。

 

まだ、コンテがありません。つまり、作画打ち合わせはしていません。と言うことで、まだスタジオのなかにアニメーターさんはいません。美術、背景さんもいません。特殊効果さんもいません。色指定、仕上げさんもいません。

 

社長、宮崎監督、わたししかいない本当に最初の時期。

あ、思い出しました。

わたしは、大きめのカラーテレビ(ブラウン管のテレビです)を買いに行ったり。

お客様用に、お茶っ葉を買いに行ったり。

トイレットペーパーやティッシュなども買いに行ったりと。

総務のような仕事をやっておりました。

 

そこに、かなり大変な案件がやってきました。

社長が、宮崎監督の車を停めるべき駐車場を探してきて欲しいと言うのです。

あと、制作進行が乗る車2台のための駐車場も必要なので、計3台必要になりました。

 

ちなみに、宮崎監督は、シトロエン2CVに乗っていました、そう、あの「クラリス」が乗っていた車です。ボディカラーは違いますよ。

わたしも、車が好きだったので、最初見せてもらいました。すごいシンプルなインテリアデザイン、機能美を感じるエクステリアデザインの車なのです。1988年、1990年に生産中止の車ですが、当時は新車を買えたのです。と言うことは、新車で買ったときから、すでにクラシックカーの趣の車だったと思うのです。

あと、「2CV」って「2馬力」の意味です。そして、宮崎監督と高畑さんの会社名です。とても、素敵なネーミングだと当時から思っていたのは秘密です。

 

さて、新しいお仕事に挑戦です。

わたしは、吉祥寺にあるいくつかの不動産屋さん巡りを日々することになりました。

 

まずは、ジブリのスタジオが入っているところから近い不動産屋からローラー作戦です。

空いている駐車場の場所、月の賃料などメモを取りながら一日2軒から3軒の不動産屋さんに、行きました。

 

スタジオに戻って用意した地図のコピーに場所を書き入れて宮崎さんに確認してもらいます。いくつかのなかから、選んでくれました。

進行車の駐車場は社長に選んでもらいます。

当時、吉祥寺のオシャレ系の繁華街にあるジブリのスタジオでしたから、側に欲しい駐車場はありません。

実際は、ビルの目の前に有料駐車場はあるのですが、それは、15分いくらの有料駐車場なので日々仕事で使うために停める月極めの駐車場ではないのです。

 

アニメーターさんが徐々に揃って来ました。それに合わせて、今度はバイク置き場を探すことになりました。

わたしは、前に駐車場探しのために数件の不動産屋さんと仲良くなっていましたのでお久しぶりです、と、言わんばかりに各不動産屋さんに入店しました。

車1台分の駐車場にバイクを3台くらい置かせてもらうことでOKをもらって駐車場をゲットしました。

 

結局駐車場は、進行車用で2台。宮崎監督用で1台。バイク用で1台は確保しました。

記憶の片隅に、もう1台ゲットしたような気もします。ですから計5台分だったかも知れませんが、はっきりと覚えていません。

 

さらに、映画公開日が近づいてきたある日、仮眠室のためにマンションの一室を借りることになって、このときもわたしが探した記憶があります。

すでに場所は忘れましたが、スタジオから徒歩数分であまり遠くないエリアで、それなりの広さで半年から1年くらいだけ貸してくれる不動産がないか?とあちこちのお店に行きました。正直、不動産屋さんに顔を覚えてもらいましたね。

 

だから、わたしにとって何もないところから、部屋の中の区分け、備品購入、駐車場などの手配など経験したため、サンライズ時代、自分の新スタジオを作るときに大いに役に立ちました。

 

ちょっと面白いことを思い出しました。

ポケベルです。

当時は、携帯、スマホがありません。

そこで、外注周りなどをしている制作進行と連絡を取るには、スタジオにいる側からアプローチは出来ません。車に乗っている進行が公衆電話でスタジオに電話をかけてくれることを願うばかりです。

 

これって、テレパシーが使えないと無理ですよね。

 

ですが、当時「ポケベル」と言う文明の利器が登場したのです。

進行に持たせたポケベルを鳴らせば良いのです。

このポケベルを鳴らせるのは、スタジオのデスクかそれに準じる人が、会社の電話機でポケベルを鳴らすための番号を打ち込むことで必要なポケベルにコマンドが送れます。

つまり、ポケベルを持った進行としては、ポケットにあるポケベルが鳴ることでジブリから命令が来たとわかるのです。でもある意味一方通行なので、進行は近くの公衆電話をかけることとなります。

 

ポケベルが鳴ると、コンビニの駐車場などに車を停めて、公衆電話から電話を入れると言った流れになります。

電話の内容は、「いまどこ走ってる?可能なら◯◯スタジオに寄って動画回収してくれない?」みたいなことです。たまたま、そのスタジオさんから連絡があったので、寄って欲しいと言った旨です。いまなら、電話?ライン?メール?で連絡を行うことになるのでしょうね。

 

さらに、ポケベルのもうひとつの使い方。

進行が家に帰る時にポケベルを持たされるのです。

そして、◯時にポケベルを鳴らされて起きることとなります。

つまり、目覚まし時計の代わりです。

帰宅した進行が寝てしまい、疲れているので起きれないのです。

よって、スタジオでは動ける人が足りなくなっているので、呼び出しをくらうのです。

進行たちの住んでいるアパートに電話があるのも珍しい時代です。

ここでも、ある意味の連絡の取り方として活用されていましたね。

でも、おちおち寝てもいられないので、ポケベルを持ちたくないって思っていたのは超内緒です。

 

第12話の回にも書いたのですが、ジブリ時代「天空の城ラピュタ」で、アニメーター重田さんが当時所属していた作画の会社さんに動画をお願いしていました。

そこで、原画の入れ、動画の回収をするのですが、池袋にある会社さんだったので車で行くには駐車場が近くにないため、電車で行動していました。

 

本当に、小さな記憶ですが、当時の原画の入れ、動画の回収に紙袋を使っていたので何度か使うとやぶれるのです。それを見ていた事務の女性が、ある日、大きなトートバックを作ってきたのです。

手作りです。

カット袋ごと入れられるけっこう大きいのです。

ただ、これが、とても可愛い色合いで可愛い模様が付いていた記憶があり、電車に乗るのが恥ずかしかったのです。

とても、便利なんだけど、使う進行は全員男性ですので、可愛い色合いはさすがにさすがなのですが、みんなで有り難く使わせてもらっていました。

 

あまりにもな小ネタ、誰も喜ばないと思いますが、あの時代のひとつの記憶を思い出したの書かせてもらいました。

 

🔻ふるさとP写真録:今週の一枚 (いや二枚)

 

 

追伸:

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古里尚丈(ふるさとなおたけ)

1961年5月3日生まれ。青森県出身。

1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。

2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』アソシエイトプロデューサーとして参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。

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