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記事: 第28話:『オリジナルアニメでヒット作を作りたいと言う想いから生まれた「舞-HiME」です』

第28話:『オリジナルアニメでヒット作を作りたいと言う想いから生まれた「舞-HiME」です』

2024年11月3日日曜日、池袋にあります新文芸座で「舞-HiME ~20周年記念同窓会~」を開催します。上映会と声優さんを呼んでのトークショーがあります。

わたしは、そこで、司会を兼ねて登壇し、声優さんとともに当時の話をすることになりました。

 

と言うことで、わたし自身色々思い出すためにも、当時の記憶を頭の奥底から引っ張り出そうを思います。

「舞-HiME」の放送は2004年秋ですが、実際企画を考えたのは2年前の2002年に遡ります。

 

2002年(平成14年)の古里は何をしていたのか?

主な作品は「激闘!クラッシュギアTURBO」テレビ放送、劇場版「激闘!クラッシュギアTURBO(2002年7月上映)」、そして、「出撃!マシンロボレスキュー」のテレビ放送を2003年1月に向けて制作真っ最中です。

 

このとき、わたしは非常に大きな悩みのなかにおりました。

 

1996年にプロデューサーになって、すでに7年経っていました。

この間に関わった作品群は、基本会社側が用意したものが多いです。

作品の中身(物語、キャラクター、設定等)は自分とスタッフで作りました。

 

しかし、完全オリジナル企画から予算集め、そして「ヒット」を打つ!と言う自身の目標を達成していないのです。

 

そうです。

わたし自身が完全オリジナル作品として企画し、自分の手で予算を集めて放送してヒットを打つ!本来あるプロデューサーを全うしたいと言う強い思いがありました。

 

思うだけでなく実際やらなければ、行動しなければと2000年くらいから悶々としておりましたが、情けないことにやれていませんでした。

 

正直、わたしはプロデューサーとしては、半人前だと思っていました。

一人前になれておらず、それこそ崖っぷちに立っていると考えていました。

プロデューサー業7年のわたしは、当時、勇気を持って一歩踏み出すことを決めました。

嬉しいことに、スタッフ、スポンサーの方々が集まっていました。

 

さらに、大切なこととして、わたし自身が何を作りたいのか?も決まりました。

目標が定まったのです。

 

それが、「舞-HiME」の原型になるアイデアの種が、わたしの頭のなかに生まれたのです。

自分が作りたいアニメ、自分が見たいアニメ。

そして、大切なお客さまに見てもらいたいアニメの種が頭のなかで騒ぎ始めたのです。

その種が世の中に出たいと言っているように思えたのです。

 

「いまならやれる!」と心が決まりました。

とにかく、動き出すことを決めました。

 

2002年夏にシナリオライターの吉野(弘幸)さんに相談があると言って、新宿の喫茶店に来てもらって、そこでみっちりと物語のネタを話し続けたことから始まります。

3時間くらい会話した記憶があります。

「種(たね)」ってひっくり返すと「ネタ」なんですね、何だか今さら深いなって……。

 

吉野さんと知り合ったのは、「星方武俠アウトロースター」が終わった頃でした。

このアウトロースターのムック本で幾つかの箇所で文章を書いていたのです。これが、また素敵な良い文章だったのです。そこで、編集さんにこの箇所を書いたライターさんは誰ですか?と問いかけたら「吉野くん」と教えてもらったのです。それから、どうしても会いたくて、徳間書店アニメージュでもアウトロースターのページを書いていたので担当編集の方に頼んで、紹介してもらったと言う訳です。

それから、「電童」でシナリオ&小説に挑戦してもらって、「激闘!クラッシュギアターボ」、「出撃!マシンロボレスキュー」とたくさんシナリオを書いてもらいました。

マジ、好きなシナリオを書いてくれるライターさんです。

 

初稿の企画メモは、机の引き出しに仕舞って、改めて第2稿を書いてもらいました。

その第2稿の企画メモが後の「舞-HiME」に育っていきます。

 

ちなみにこの初稿のメモは、ムック本などでも出したことがありません。

メインタイトルは『人形遣い(仮)』と言います。

 

吉野さんにお願いしたのは、久行(宏和)さんが前に「GEAR戦士電童」で描いた「C-DRiVE」と言う中学生の3人のアイドルグループの少女たちのキャラクターがいるのです。

この、少女が高校生になっていて、新しい物語を紡ぐオリジナルの企画です。

現在の「舞-HiME」の主役、舞衣は「C-DRiVE」のミキ、ショートカットの娘です。

なつきは「C-DRiVE」のサキちゃんでストレートヘアの娘、碧ちゃんがユキちゃんになるのかなと思います。

ちなみに、「C-DRiVE」と「舞-HiME」の小文字の「i」が同じなのです。

 

舞-HiMEにおいて命は、新キャラとして、キャラクターデザイナーの久行(宏和)さんに、イメージボード&キャラクターデザインのラフ画を描いてもらいました。

 

久行さんのキャラクターデザインは、「新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA・SIN」、「電童」と経験して、「舞-HiME」は4作目です。元々魅力的なデザインを描いていたのですが、より魅力度が増し増しだと、当時強く思っていました。

 

この段階で「キャラクタースターシステム」と言う方式のキャラクターデザインを構築しました。この延長線に「舞-乙HiME」があります。

 

内容をバトルロワイヤル形式の物語にした理由は、わたしが、「電童」をやったときに、「敵」の存在が難しい時代になったことを痛感したからです。

次の「出撃!マシンロボレスキュー」の敵は「災害」だったため腑に落ちて、物語を作ることが出来ました。

 

しかし、敵の構築がとにかく難しいと感じていました。

敵が魅力的でなければ、味方側の主人公たちがより魅力的にならないと思うのです。

 

ウルトラマンに対しての怪獣たち。

仮面ライダーに対してショッカーと怪人たち。

マジンガーZに対してのドクターヘルたち幹部と機械獣。

アムロとガンダムに対してのシャアと赤ザク。

バルキリーに対しての巨人。

 

ロボットアニメを何度か作ることで得たのは、敵側が圧倒的に強く魅力的、その敵と戦う理由が分かりやすいことがとても重要で大切だと言うことです。

 

「舞-HiME」は学園物であって、戦争物、地球征服のロボットアニメ等ではないです。またSFと言うよりファンタジーの要素に日本神話的設定がバックボーンにあります。

少女たちを通して、身近にあって、視聴者にも肌感で分かってもらえる、直感で感じることのできる敵を用意することにしました。

その敵とは「友」であり、隣の人、仲間で闘うと言うバトルロワイヤル形式を選びました。

毒虫などを使って不和や報復、運命を変えるという古代中国の呪術に「蠱毒(こどく)」があります。このシステムをドラマのなかに入れた企画として吉野さんに考えてもらいました。

 

さらに、あの頃の第8スタジオは、ロボットアニメを作りたいスタッフが揃っていました。

でも、ロボットアニメが消滅するタイミングであり、他の制作会社でもどんどんロボットアニメがなくなっている時期でした。

 

サンライズでも同様で、ガンダムシリーズ以外のロボットアニメは減っていました。

 

わたしは、ロボットバトルが描けるスタッフがいるのに、違うジャンルのアニメを作るのが嫌だった、と言うか勿体ないと思っていました。

また、美少女物で「萌え」と言う新ジャンルを作り出している時代でした。

 

正直に書くと、サンライズでは誰もやっていないジャンルのアニメだったので、そこにチャンスがあると考えました。

「あのサンライズが萌えアニメをやる」と言うことさえも、ひとつのキャッチコピーにしました。しかし、「あの」って何?ですよね。

 

そこで、美少女の超能力バトル学園物で、メカっぽいモンスターが戦う物語にすれば、ロボットを描きたいスタッフたちもぎりぎり主人公が女の子であってもやってくれるのでは?

 

と、考えたのです。

 

つまり、「舞-HiME」は、スタッフありきの企画でした。

 

「新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA・SIN」のキャラクターデザインの久行さん。

「電童」から参加したシナリオライターの吉野さん。

監督は、「新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA」では設定制作で参加した小原(正和)さんです。「電童」の第1話の絵コンテを描いています。

作画チームも「新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA」以降、参加した大切なアニメーターたちがいます。

絵コンテ、作監では「出撃!マシンロボレスキュー」のキャラクターデザインの竹内(浩志)さん。

セットデザイナーは、「出撃!マシンロボレスキュー」で美術設定を描いてくれた青木(智由紀)さん。

カグツチなどのデザインは、「星方天使エンジェルリンクス」のメカデザイナーの宮武(一貴)さん。

チャイルドをたくさん描いてくれたメカデザイナーは「GEAR戦士電童」のメカデザイナーの阿久津(潤一)さん。

美術&背景チーム、色指定&仕上げチーム、撮影チーム、音響チームと他にもたくさん、たくさんのスタッフに参加してもらって「舞-HiME」は生まれました。

 

わたしのオリジナルアニメが作りたいと言う「想い」から始まった企画でしたが、当時無事に放送となり、いま、こうして「20周年」を迎えていること、20年前の古里に教えてやりたいです。

あの頃のわたしは、ガムシャラに走っていましたので20年後云々なんてこと一切眼中にありませんでしたから。

 

失敗もたくさんしました。

周りの方々にご迷惑もかけたと思っています。

実は、舞-HiMEの打ち上げ時は、スタッフ、関係者を前に、嬉しくて心のなかで泣きました。

 

 

当時も、いまも、この言葉しかありません。

 

「関係者の皆さま、本当に感謝しかないです」

「本当にお世話になりました、ありがとうございます」

 

 

 

 

🔻ふるさとP写真録:今週の一枚 

 

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古里尚丈(ふるさとなおたけ)

1961年5月3日生まれ。青森県出身。

1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。

2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』制作統括として参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。

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