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記事: 第103回:『ミスター味っ子、後半戦設定制作になりました』

第103回:『ミスター味っ子、後半戦設定制作になりました』

わたし、サンライズに入社後の仕事「制作進行」は第44話を持って最後となりました。

東京現像所での試写室での初号を終えてテレビ東京への納品が完了しました。

 

そして、次の仕事は「設定制作」です。

29話あたりの制作進行をやっていたころに、長谷川(徹)プロデューサーに呼ばれて、「古里は演出をやりたいんだよな」と、「それなら、設定制作をやってみるか?」と言う流れだったと思います。

ちょうど、設定制作をやっていた佐藤(育郎)さんが演出になることもあり、設定制作ポジションが空いてしまったので、わたしがやれることとなったのです。

 

キャラクターデザイナーの加瀬(政広)さんが放送が始まる前に描いたメインキャラクターの陽一くんのデザインが話数を重ねて作画監督することで絵柄が変わっていました。

 

例えば、第20話から新しく加わった原画マンがいるとして、そのアニメーターさんは最初のキャラクターデザインを見て描くのです。

いわゆる、主人公の陽一くんの絵柄が変わっているので作画監督さんはまるっと修正をしてしまうことになるのです。

わたしは、これはなんとかならないものか?と考えていました。

 

ですから、わたしが設定制作になって最初にやったのは、メインキャラクターの設定の変更、特に陽一くんのキャラクターデザインを改稿することでした。

 

そこで、加瀬さんに頼んで新しく設定画を描いてもらった記憶があります。

立ち絵のキャラクター表をチェンジしたのです。

他にも数名、変えたキャラクターもいます。

 

そして、なんと、後半の後半にキャラクターデザイナーが新しく毛利(和昭)さんになったのです。わたしも、設定制作になって必死に頑張っていた時期、毛利さんがやってきました。

お互い新人だったので、毛利さんと色々話し合ってキャラクター作りをしました。

わたしもアイデア出しを出来たので、嬉しかったです。

 

ちなみにわたしは勝手に、毛利さんに懐いておりました。

懐かれて邪魔だなって思っていたかも知れません。

でも、設定制作として新人だったわたしだったので、同じくキャラクターデザインの新人?の毛利さんがそばにいてくれるのは本当に嬉しかったし、少しお兄さんだったので頼りにしていました。

 

いま思い出しました。

「ミスター味っ子」ならではの、特別なデザイナーがいます。

 

それは、お料理デザインです。

 

加瀬さんや毛利さんが所属している大阪のアニメアールの河村(佳江)さんが担当していました。

わたしは、河村さんと電話で打ち合わせをして、お料理の設定を描いてもらっていました。

漫画「ミスター味っ子」の単行本や週刊少年マガジンで連載している漫画のコピーを取っておいて、それら漫画のなかの料理を使う場合は、そこからアニメ用のデザインを描いてもらいます。

 

でも、アニメオリジナルとなると、色々相談してトライ&エラーで描いてもらうのです。

ここで、思い出すことがあります。

実は、当時お料理に関して、吉祥寺にある調理士専門学校に行って、先生にプロット&シナリオを読んでもらって、そのなかの料理がきちんと作れるのか?

そして、美味しいのか?を聞くのです。

さらに、漫画のなかの料理を使う場合も同様で、本当に作れるのか?美味しいのか?を聞きます。

 

先生も慣れていて、わたしが通う頃には、単行本を手にして「どれどれ、なるほど、この料理は作れるし、美味しくなると思うよ」と聞く前に教えてくれるのです。

さらに、シナリオを読んでオリジナルの料理になると、参考資料を出して、こんな料理、あんな料があるよ、と言って考えてくれます。

また、世界の◯◯(地域名)には、これに似た料理があるね、と、教えてくれるのです。

 

それら資料を持って帰って、コピーを取って、監督、ライターたちに配ることもありました。

 

先生は、この料理は見た目は良いけど、あんまり美味しくないよ、と言うこともありました。

やはり美味しい料理を提供したいと思っていたんですよね。

 

そして、資料を用意して、河村さんと打ち合わせもしました。

河村さんも、色々アイデアを出してデザインしてくださるのです。

 

わたしは、この「ミスター味っ子」の設定制作時代に癖がついたことがあります。

それは、いまでもやっちゃうのですが、料理店に入って厨房が見えると、なかを覗いてしまうのです。

ラーメン屋さんは言わずもがな、です。

寸胴など鍋の置き場所。湯切りのザルの置き場所。調味料の置き方、使い方。

とにかくキッチンの様子を見てしまうのです。

 

でも、これは、「勇者エクスカイザー」のときには、上井草駅で電車が来ると、車輪回り方などの仕組みを見てしまいます。あと、連結器を見てしまうのです。後々に電車の変型合体があるので、なおさらに見ることになります。

 

観察をすることが設定制作2年間に覚えたことです。

子どものときと同じで、どうして、なぜ?を思うと調べる、観察して考えることが改めて身についたのはメリットではありました。

 

「ミスター味っ子」も後半になると、制作進行も増えて、それぞれみんな個性豊かに作業をしていました。みんなの顔を思い出したいのですが、うっすらして忘れていることがとても残念です。

 

わたしの記憶のなかで色濃く残っているのは、19891月に年号が「昭和」から「平成」に変わったことです。

 

そのタイミングに特別番組に変更することもなく、「ミスター味っ子」が放送されました。

他の放送局が特別番組を組んでいるなか普通にアニメを放送しているので、視聴率が良かった記憶があります。実は、制作現場は放送がお休みになることを祈っていました。

 

改めて、「ミスター味っ子」は、昭和と平成を股にかけるアニメだったのです。

 

裏話になるのですが、放送延長について毎回2クールごとに延長か?それとも終わるのか?がギリギリまでねばって決まるのです。

だから、26話、52話、78話の3回のタイミングで放送局からの回答を待つのです。

 

制作現場は、答えが出る前にシナリオ開発はするのですが、さすがに絵コンテ、キャラクターデザイン、美術設定作りなどは進めません。

 

そして、「続行」の掛け声と同時に、各打ち合わせをやるのですが、スケジュールが遅れてしまうのです。この繰り返しなので、都度、「待つってつらいね」と、制作全員が話していました。

それでも、何だかんだで、99話、ほぼ2年間続いたのです。

 

もし、延長がもっと早くに決まるなら、スケジュールが良くなったのか?カラーでアフレコをやれたのか?正直分かりませんが、でも、ギリギリまで待たされるのはしんどかった記憶がありますね。

 

あと、続行せずに急遽最終回になったら、絵コンテを書き直すことになるのも、それは回避したいなって思っていました。

でも、最終回は第99話と決まったので、ほっとしてシナリオ開発からの絵コンテ作業をしました。

 

ちなみに、スタッフのことで思い出すのは、シリーズ構成が「城山(昇)」さんから第76話以降「鳥海(尽三)」さんになりました。

そして、第76話から文芸が復活します。

わたしが、設定制作と文芸の両方やるには力が足りませんでした。

新しく鳥海さの「鳳工房」から、藤本(さとし)さんが来ました。

藤本さんは、わたしと年齢が一緒だった気がします。

 

良く藤本さんと馬鹿な話をしたことを思い出します。

西荻窪駅南口近くにある10人ほどのカウンターだけのお店で、色々なカツの定食を食べることができたのです。そこは、マスターのおじさんがでっぷりとており、マスターともうひとりが入ると動けなくなるような狭い厨房でした。

当日のおまかせ定食があって、メンチカツ、チキンカツなど色々はお肉料理を盛ってくれるのです。それが好きで日々通っていたのです。

そのお店に藤本さんも行ってるようで、ふたりであのお店の物語を勝手に考えて話していました。時々奥さまとお嬢さんが手伝うときがあるのです。そのお嬢さんがお父さんと違ってほっそりしてお綺麗だったこともあって、IFの物語が深まるのです。他にも色々やった、この「IFごっこ」は楽しかったです。

 

藤本さんは文芸として、あらすじ書き、予告書き、そして本編シナリオも書くことになります。

わたしは設定制作として、最終回に向けてひた走ることになりました。

 

ですが、1989年春に、吉井(孝幸)プロデューサーに呼ばれて「古里の次の作品はタカラと共に動いている勇者エクスカイザー(仮)だからね」と言われました。

放送は19902月からです。となると、作画打ち合わせは、1989年秋からなのです。

「ミスター味っ子」の最終回の放送は、1989928日ですから、わたしはお休みはないと言うことになります。

 

ここから、わたしは、「ミスター味っ子」の最終回への絵コンテ、ゲストキャラクター設定、美術設定、色指定などを進めつつ、「勇者エクスカイザー(仮)」の打ち合わせにも出ることになるのです。

制作進行たちも終わり次第、「勇者エクスカイザー」に移動します。

でも、「ミスター味っ子」班のなかで、わたしひとりが「勇者エクスカイザー」の仕事をやっているのです。設定制作は、一番に抜けるので、最終回までがんばって制作をやっている進行たちの手伝いが出来ないのは、本当に悲しかったです。

 

 

※「東京現像所」は、1995年位誕生し、2023年に全事業を終了し、2024年に法人格も消滅しています。フィルム時代が終わり、デジタル時代への大きな変化を考えると仕方がないことかも知れませんが、とても悲しいなと思うのです。制作デスクの時、窓口の担当さんとやり取りをしたことが忘れられません。

 

※「初号試写」とは?放送局にプリント納品する前に、局プロデューサー、監督、メインスタッフたちで映像チェックのために試写をして確認することを言います。

初号試写で、リテークがみつかることがあります。そうなると、ダッシュでスタジオに帰って、そのカットを直して撮影し直すのです。

 

 

古里尚丈(ふるさとなおたけ)

196153日生まれ。青森県出身。

1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。

20112月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』アソシエイトプロデューサーとして参加。現在、漫画原作『貴姫さまの憂鬱~あやかし探偵事件簿』をはじめ、新企画を準備中。

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