第31話:『舞-HiME、テレビ東京で放送枠が決まりましたので、スポンサー探しが本格的に始まりました!』
「舞-HiME」の主目的は、パッケージ販売を中心にしたオリジナルアニメです。
当時は、BD(ブルーレイディスク)はありませんでした。
ですから、DVDパッケージがメインの商品(商材)となります。
つまり「舞-HiME」を好きになってもらってDVDを視聴者、お客さんに購入していただく。
これが、わたしにとって重要かつ一番中心に置いた企画&アニメ制作なのです。
例えば、「GEAR戦士電童」「激闘!クラッシュギアターボ」「出撃!マシンロボレスキュー」はバンダイの玩具がメイン商品(商材)になるアニメです。
「星方武俠アウトロースター」は、VHSとレーザーディスクがメインになるアニメでしたので、「舞-HiME」と同じパッケージ販売になるタイトルでした。
しかしあの頃、わたし自身テレビシリーズのプロデューサー1年生で色々失敗もあり、やれなかったこともがたくさんあったのです。
情けないですが、わたしの力が足りないことがバレバレでした。
正直、忸怩たる想いばかりです。
どう考えてもマイナス点からのスタートでした。
次はもっとうまくやる、と心に決めて、前に進んで来れたとは思っています。
大前提として、まずは面白いアニメを制作しなければなりません、これは、スタッフ一丸になって必死に考えて作りました。
視聴者、お客さんにテレビを見てもらい、DVDを手に取っていただくためにはどうすれば良いのか?必死に熟考しましたが、ひとりでやれることは限られています。
でも、となりには国崎プロデューサーがいます。
国崎プロデューサーの持つスキル、圧倒的なノウハウに感嘆し、わたしは前に進むことが出来ました。正直ひとりでは怖くて何も出来なかったのだろうと思います。
と、言うことでメインスポンサーはバンダイビジュアルになります。
他のスポンサー探しです。
そして、音楽メーカーを決める必要があります。
わたしは、音楽プロデューサーとしてランティスの井上(俊次)さんにやってもらいたかったのです。
大尊敬する井上さんに、音楽(BGM)制作、OP&エンディング主題歌を始め歌作り、CDドラマや企画CDなどなど一緒に作っていきたいとアピールして、さらに、スポンサーもお願いしました。
わたしは、BGM作曲家として梶浦(由記)さんを起用したいと相談しました。
理由は、「舞-HiME」の世界観にあった音楽を書ける、と言うかすでに発表している音楽が民族調で「舞-HiME」にぴったりハマっている作曲家さんだと思ったのです。
あと、「機動戦士ガンダムSEED」のエンディング主題歌のメロディが、「舞-HiME」の物語性を増幅出来ると感じました。
またアニメ「ノワール」のサントラBGMを聞いて、色々世界が広がるのです。
強く思ったのは、梶浦さんの音楽には耳に残るメロディが常にあるのです。
音楽が主張してテレビ画面の前に飛び出てきます。
BGM(バック グラウンド ミュージック)と言う言葉にわたしは、ちょっと抵抗があるのです。
背景音楽と言う言い方もあるのですが、いやいや、アニメの絵を飛び越えて前に来る音楽ウエルカムです、と、思ったわたしは、梶浦さんに音楽をお願いしたいと考えたのです。
PV(プロモーションビデオ)のために、それ専用の音楽を描いてもらったのが最初の仕事となりました。
後で梶浦さんに聞いたら、「舞-HiME」の絵コンテ、シナリオなどを見て、ダンス曲と言うか、「踊らされている少女たち」を感じたようなことを話していました。
ですので、PVの曲は、頭が特にダンス曲になっていると言ってましたね。
本編の曲も踊れる系の曲が多いと感じます。本当は、専門用語で話していたのですが、わたしが音楽の専門用語が分からないので、忘れました。ごめんなさい。
初めての音楽打ち合わせのあと、梶浦さんととある喫茶店でコーヒーを飲みながら、「舞-HiME」について、わたしのなかにあるフツフツとした熱き思いを言葉にしたのです。
あの時は、にこにこ笑顔で聞いてくださり感謝です。
ありがとうございました。
また、後日、音楽収録時にスタジオでお会いした時もにこにこ笑顔だったのが忘れられません。演奏が始まると、「音」を聴くその表情が瞬く間にクールなプロの顔になっている、そんなタイミングに立ち会えたことも良い思い出です。
また、井上さんは、オープニング主題歌に2002年デビューした「栗林みな実」さんを起用したいと伝えてきました。
ランティスが推しているボーカリストでした。
栗林さんは、当時新人さんだったので、わたしは知らない、良く分からない状態でしたが、井上さんの考えをそっくり受け取ることにしました。
栗林さんの歌う声は、明るさのなかに、よりドラマを感じさせる何かの成分が含まれているなと感じました。それこそが、大きな魅力だと思ったのです。でも、うまく説明出来ません。
これってピアノ、ウクレレ等にある「ゆらぎ」のようなものなのでしょうか???
また、声優さんとしても活躍していました。
「舞-乙HiME」では、エルスティンを演じてもらいましたね。
井上さんと、国崎プロデューサーは、なんと放送前に、声優さんにイメージソングとして歌ってもらうことも考えてくださいました。舞衣、なつき、命の3名にそれぞれ歌を作りました。その歌に合わせて、バンダイビジュアルチームは声優さんのPV撮影もして、プロモーションの一環として無料で配った記憶があります。
このことは、先日の新文芸坐でやった上映会&トークショーで、声優の中原さん、千葉さん、清水さんも当時初めての挑戦として色々やったなかで、PVのことも話していましたね。
わたしは、撮影に立ち会えていないので、撮影秘話は書けないのですが、でもでも、弊社事務所にはその映像のDVDが数枚あります。
ゲーム化&スポンサードとして、マーベラスさんに相談しOKとなりましたが、実際ゲーム制作会社はどこに頼むか?と言うことを、国崎プロデューサーに相談しました。
そうしたら、違和感たっぷりの目立ってナンボ!の変化球で攻めてみたいと言う流れになりました。
と言うことで、18禁PCゲームなどを作っていた「CIRCUS(サーカス)」さんにアプローチしました。
「D.C.~ダ・カーポ」のゲームを制作している会社です。
ランティス井上さんを通じて、松村(和俊)会長にお会いし、相談してOKをいただきました。
最初は、新宿の喫茶店で色々話した記憶がありますね。
また会社に伺って打ち合わせしたとき、会議室に集まったメンバーを見てとても若い人の多い会社だなと思った記憶があります。
若さのメリットは、勢いだと思うのです。
そして、お客さんと年齢が同じくらいと言うのはめちゃくちゃ強みだと思うのです。
シナリオ、絵コンテ、設定など渡して、どんなゲームが良いのか?「舞-HiME」にあっているのか?など考えてもらって、ゲーム化を企画してもらいました。
守って欲しい核の部分は遵守してもらい、しかしCIRCUS(サーカス)らしい絵柄、ストーリーでゲーム化への挑戦をしてもらいました。と言うか、ガラッと絵柄がアニメと違っているのですが、それも面白がろうと考えました。
コミカライズ&スポンサード。
漫画連載を週刊少年漫画誌でやりたいと考えました。
そこで、サンライズのライツ担当に相談をしましたら、「スクライド」で付き合いのある秋田書店週刊少年チャンピオンの編集部を知っているので、話してみると言うことになりました。
当時、週刊少年チャンピオンの副編集長だった伊藤(純)さんに会いました。
伊藤さんは、「舞-HiME」の内容を見て、気に入ってくださいました。
色々根回ししてもらって連載することになりました。
作家選びから、漫画の内容と色々考えてくださいました。
漫画家の佐藤健悦さんの起用になりますが、舞-HiME、舞-乙HiMEが終わったあとに、オリジナルの漫画連載を長く続けているのです。これは、伊藤さんの人(作家)を見極める能力が高いのだと思うばかりです。
アニメの放送前の夏から連載開始なので、アニメのネタバレをしないようにと、漫画オリジナル展開となりました。
これら、ゲーム展開、週刊少年チャンピオンの漫画連載、各小説連載、音楽(CDドラマ)等、各メディアに最適化した展開を踏まえて行くことにしました。
進めるうちに偶発的に「舞-HiMEプロジェクト」のかたちとなって行きました。
バンダイビジュアル宣伝プロデューサー轟(豊太)さんの紹介だったと思います。(※20年前のことでわたしの記憶が間違っていたら、ごめんなさい)
グッズ&カード展開も考えて、当時ブロッコリーの社長だった木谷(高明)さんと会いました。
なんと、アフレコスタジオに足を運んでもらって、そこでプレゼンしました。
企画書を読んでもらって、口頭で補足説明をしました。
そして、木谷さんは「スポンサード料って幾ら出せば良いか?」とサクッと聞いてきました。
「1ヶ月○○万円で2クールなので、6ヶ月分です」と言いましたら、OKをいただきました。
その木谷さんがのちにブシロードを作り、そこでもお付き合いがあって「少女⭐︎歌劇 レヴュースタァライト」にもつながるとは、なんと嬉しい出会いだったのだと改めて思います。
代理店の電通が、ドワンゴさんにスポンサード営業し、決まりました。
当時、まだ携帯はガラケー(スマホでなくガラパゴス携帯)です。
そこに着信メロディ、着うたと言う技術が開発されて、我々の持っている携帯にダウンロードをすると好きなメロディや歌が着信コールとして鳴るわけです。
ドワンゴは、2003年からアニメに特化した着信メロディサイト「アニメロミックス」を開始していましたので、アニメのスポンサードも増やしていた時代です。
実は、電通のプロデューサーのプレゼンがとんでもなく説得力があって、すごいなあと思って見ていました。
データ資料を用意してよどみなくアプローチして行くのですが、さすがにこれはやれないなってわたしは思った次第です。
国崎プロデューサー、轟宣伝プロデューサー、井上音楽プロデューサー、サンライズライツ担当の力を借りて、色々な人、色々な会社を紹介してもらいました。
放送局に毎週テレビ放送をするには、「波料(枠料)」を支払わないといけませんので、各社さんにスポンサーになってもらう必要があります。
アニメを作る制作費とは別に放送するためには「波料(枠料)」が必要です。
いわゆる、「コマーシャル」枠が「波料(枠料)」に当たります。
ちなみに、時間帯、局で予算は変わります。
視聴者がたくさんおり、見てもらえる時間帯(ゴールデンタイム)の「波料(枠料)」は高いです。深夜の深い枠、視聴者が少ない時間帯の「波料(枠料)」安いのです。当時、深夜アニメはどんどん増えている時期だったので、安くもなくそれなりに高かったなと言う記憶があります。
「舞-HiME」の場合、当時の放送時のコマーシャルは、「バンダイビジュアル、ランティス、マーベラス、ドワンゴ、秋田書店、ブロッコリー」さんの6社で各々の商品の映像CMが流れました。
いつ頃だったか、記憶が薄くなっていますが、とある声優育成の専門学校にも行きました。
理事長と校長が出てきたのでプレゼンしましたが、趣旨が伝わらずスポンサードはやってもらえませんでした。なかなか、こちらの考え、思いは伝わらないものだと再認識しました。
リアルにお金集めは、本当に難しかったです。
当然、出してもらった分は取り返して、リターンしなければならないと心に強く刻むのです。
正直、結果が出るまでドキドキしていました。
それぞれの商品が売れて、リターン出来ないと、スポンサーになってもらった社長や関係者の皆さんに合わせる顔がありません。
当時のわたしは、絶対にヒットすると言った笑顔の裏では、必死の形相で頑張っていたなあと思います。
そして、各社さんにある程度は返せたかなと思っていますので「舞-乙HiME」の企画も動き出した、そんな時代でした。
おいおい、サンライズが「萌え」をやるってよ!とざわざわしたあの頃です。
🔻ふるさとP写真録:今週の一枚
追伸:
YOUTUBE「ふるさとPアニメ道」もスタートしましたので、ぜひぜひチャンネル登録の上、ご覧くださいませ。
🔻リンクはこちら
HTTPS://WWW.YOUTUBE.COM/CHANNEL/UC_JRVVLJSFUHGMXPCVYUQ5A
古里尚丈(ふるさとなおたけ)
1961年5月3日生まれ。青森県出身。
1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。
2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』制作統括として参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。
コメントを書く
このサイトはhCaptchaによって保護されており、hCaptchaプライバシーポリシーおよび利用規約が適用されます。