記事: 第55回:『大好きな勇者エクスカイザー!メカデザイナー大河原さんを思い出します!』
第55回:『大好きな勇者エクスカイザー!メカデザイナー大河原さんを思い出します!』
「勇者シリーズ」と呼ばれるアニメがあります。
このシリーズのスタートにして一番最初のタイトルが「勇者エクスカイザー」です。
わたしが「勇者エクスカイザー」に携わることになったのは、はるか昔(1990年2月3日放送)のことです。
当時、わたしは「ミスター味っ子」の設定制作をやっていました。
その「ミスター味っ子」の最終回(1989年9月28日)が迫る3ヶ月くらい前、吉井(孝幸)プロデューサー※注1に呼ばれました。
※注1、「ダーティ・ペア」「勇者シリーズ」、「魔神英雄伝ワタル」「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」などのプロデューサー。後のサンライズの社長。
会議室には、吉井さんがニコニコしながら座っていました。
吉井さんが「次の仕事はこれだから、勉強しておいて!」と。
テーブルに用意していたのは、「勇者エクスカイザー」と書かれた企画書でした。
企画書には、テーマ、コンセプト、物語のあらすじ、キャラクターとロボットのデザイン設定資料が載っていました。
補足として吉井さんから、スケジュールなど、やって欲しいことを聞きました。
放送は、明けて2月からなので、正味制作期間として1年切っています。
「ミスター味っ子」制作班の第7スタジオがそのまま勇者班になると言うことでした。
「味っ子」は9月末に終了するので、それ以降「勇者エクスカイザー」の作画INとなります。わたしの仕事は、設定制作ですので、10月までに作画に入れるようにキャラ、メカ、美術、シナリオ、絵コンテを進めることです。
このミッションはけっこうタイトなものでした。
さらに、まだ「味っ子」の作業が進んでいるなか、わたしだけで別作品の動きをするのは、なかなかハードです。
「古里、お前何やってんだよ」「こっち手伝えよ」と言う声が幻聴なのですが聞こえてくるのです。これは、あくまでもわたしが勝手に感じていることです。実際はどうなのか?はわかりませんが……。
とにかく、男児玩具連動型のアニメの制作に携わることになったのです。
わたしは、ロボットアニメが好きだったので参加は素直に嬉しかったです。
ただ、リアル系ロボットアニメではなく、子供向けアニメだったので日々勉強でした。
でも、わたしは日本アニメーションで「ふしぎの国のアリス」「ミームいろいろ夢の旅」など低年齢ターゲットのアニメの制作進行だったし、ジブリ時代「天空の城ラピュタ」の制作進行で、ある意味低年齢あるいは全年齢向けの経験があったので何か役に立つかもと考えました。実際、いま思うと役に立つことが多かったと思うのです。
吉井さんから重要なメインスタッフのことを教えてもらいました。
谷田部(勝義)監督を中心に、シリーズ構成・ライターの平野(靖士)さんは、すでにシリーズ構成のための打ち合わせを進めていました。他にもすでに数名のライター氏に声をかけているようでした。
さらに、キャラクターデザインは新人デザイナーの平岡(正幸)さんです。
美術設定は岡田(有章)さんです。
キャラ・美術設定の打ち合わせも進んでおりました。
また、チーフ演出として福田満男さん、第1話等の絵コンテ演出、オープニングの絵コンテ演出、変型合体必殺技絵コンテと演出の担当はふくだみつおさんでした。ここで、ひとつお気づきになった方がいるかも知れませんが、この時期、福田さんの名前は本名とひらがなにしたペンネームでした。
そして、「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」から福田己津央と言うペンネームを使うことになるのです。
わたしが「勇者シリーズ」で一番お世話になるのが、メカデザイン、メインのロボットデザインをやる大河原(邦男)さん。
わたしが参加した時期は、メインメカデザインの定例会議が毎週行われていました。
そこには、スポンサーのタカラさんから数名の担当者が参加していました。
そして、中心人物でありメカデザイナーの大河原さんを始め、谷田部監督、吉井プロデューサー、そして、敵ロボット案、武器案、技案、変型合体説明図など色々描いたデザインメイトの秋元(浩志)さんも参加していました。秋元さんとは同じ年齢だったので、お互い初参加の現場において相談もしやすくいてくれて有り難かったです。
わたしが、参加した後くらいに抜けるのですが、アイデアマンとして演出の高松(信司)さんも参加しておりました。後に、「勇者特急マイトガイン」で監督になるのです。
わたしの最初の仕事は、この毎週やっているメインメカデザインの会議のセッティングです。スケジュール確保の他、一番重要なのは、大河原さんの描いたデザイン設定画をコピーし用意、また秋元さんが描いたロボットたちの武器、技などのアイデア画や文字設定もコピーし、打ち合わせに向けて準備となります。
でも、打ち合わせ前にもらうので、突貫、特急で全員分を用意しないといけないので、正直「ひ~!」となって作業をします。
わたしがいなくとも、打ち合わせは進みます。
そうなのです。
わたしは常に頭30分くらい参加出来ないので、そこで何を話しているのか?が不明となるのです。何を話していたのでしょうね。とほほ。
当時は、パソコンがありません。
インターネットもありません。
FAXはありましたが、熱転写で受け取るので画質が悪かったです。
だから、デザイン設定画が上がったら受け取りに行くか?FAXでいただいてコピー原板を作るか、後で原板を受け取るか?しかありません。
大河原さんは、会議に合わせて上がりのデザイン画を持ってきてくださるので、受け取って突貫で人数分コピーする必用があるのです。
コピー仕立てのホカホカする温かい資料を持って会議室に入り皆さんに配っていきます。
さて、ここから大河原さんの描いてきたデザインについてディスカッションとなるのです。
タカラの担当者さんから、デザイン画と玩具の変型・合体などとの整合性について意見が出ます。
谷田部監督からアニメを作る際にあった方が良いと思われるマークや印象的なパーツとして例えば、エクスカイザーなら胸のライオンのデザイン、頭部額周りのデザインなどについてディスカッションとなります。
吉井プロデューサーもタカラと制作現場の中間地点として意見、アイデアの調整をします。
大河原さんは、その場でコピーした設定画に、赤色等のペンで絵を描いて「こんな感じだとどうだろう?」と絵を見せて皆さんに問いかけます。
幾つかの線画をその場でパパッと描くのです。
そうなると、わたしはそのラフ画の用紙をもらって、すぐにコピーしてきます。
タカラの方々、谷田部監督、吉井プロデューサー、大河原さん、秋元さん、高松さんに渡します。
会議室ではそれぞれの意見が飛び交っており、大河原さんがこのデザインは次に直してくるよ、の流れになります。
あるいは、このデザインはこれで行きましょう、と、決定となったりします。
本来、わたしがそれらをメモを残す必用があるのですが、手が回らないことが多く迷惑をかけたなあって思うのです。
あと、大河原さんは、ひとつのロボットに対して幾つかのデザインを描いてきます。
特に、頭部デザインなど数種類用意してくださいます。
皆さんでどの頭部デザインが良いのか?を多数決で決める場合もあります。
あるいは、A案の額飾りで、B案の顔にして欲しいなど、具体的に指示が出ます。
またストーリーに合わせて、デザインが整理されブラッシュアップすることもあるし、大河原さんのデザインに合わせてストーリーが変わることもあります。
大河原さんと「勇者エクスカイザー」から「黄金勇者ゴルドラン」まで一緒に仕事をしましたが、常に思うのは、大河原さんはとにかく手が早いことです。
定例会議のときに、わたしにポンと渡してくれる設定画は、20枚以上あるのです。もらってコピーが大変なのもいま思うと嬉しい悲鳴です。
そして、最高に有り難いのは、スケジュール通りにデザイン設定画が上がることです。
「ごめん、今日は上がり少ないんだよ」と言って、わたしの手渡すことがあるのですが、持つと「ん?」と。封筒のなかを見るときちんと10枚以上入っているのです。これのどこが少ないの?になる古里でした。
大河原さんは、直しについていつもニコニコ笑顔で対応するのです。
わたしは、本当は嫌なんじゃないか?実はムッとしているのでは?と思うのですが、そんな表情は出しません。
すごい大人だなって、いつも思って見ていました。
確かに、当時のわたしは、28歳くらい。
大河原さんは40代前半ですので、はるかに大人です。
でも年齢以上に大人に見えた気がするのです。
ちなみに、大河原さんと最初にお会いして挨拶をしたときの印象は、なんて格好いいんだ!でした。まるで役者のような方でなぜここにいるんだろう?と思ったものです。
実は、数年前に本当に本当に久しぶりにお会いしたのですが、やはり格好いいのです。
あと、わたしにとって大河原さんと言えば、「ジャガー」に乗っている方、なのです。
一度、駐車場に入れて欲しいと言うことで鍵を渡されたことがあります。
「古里くん、車好きだよね」が開口一番です。えと、好きですが、ジャガーを動かすのはさすがに緊張しやばいのです。ぶつけないように、運転できるのか?と不安です。
そして、このネタのオチなのですが……。
エンジンをかけて走り出すためにハンドブレーキを外す必用があります。
そのハンドブレーキの外し方が日本車と違うのです。その前に、ハンドブレーキの場所がわかりません。悪戦苦闘してなんとか動かした記憶があります。正直、泣きそうでした。外車は怖いと言うのが、わたしのトラウマになりました。
大河原さんが、打ち合わせ中に良く話してくれたのは石垣島のことでした。
夏に休みを取って石垣島に行くんだよ!と、とても楽しみにしていました。
ちなみに、ゲストメカデザインを描いてくださっている石垣(純哉)さんが打ち合わせに参加することがあると、大河原さんは「石垣くん」と名字を呼ぶ都度「ああ、石垣島を思い出すなあ」と言ってました。石垣島、癒やされるそうです。わたしも行ってみたいです。
数年前にお会いしたとき、昔メカデザイナーになる前、オンワード樫山で紳士服の企画、営業の仕事をしていたと教えてくれました。
だからこそ、ロボットのデザインを考えるときに、男性が紳士服を着るように、服を来ているんだと考えてデザインを描いていると話していました。
確かに、鎧武者、西洋の鎧から宇宙服等をモチーフに、例えば「デッカード」は警察官の制服です。
勇者ロボットたちは、子供たちが見て共感できるデザインにする必用があります。
強さ、格好良さのほかに「親近感」も大切な要素だと思うのです。
いわゆる、「キャラクター」にならないといけない訳です。
大河原さんがデザインするロボットたちは、キャラクター化されていると感じます。
だからこそ、お客さんに訴求するものになっていると思うのです。
胸のライオンなども強さのアピールだし、車(働く自動車)、ジェット機、バイク、列車モチーフは速さや親近感にあたると思います。
「勇者エクスカイザー」において、わたしが参加したときには、すでにエクスカイザーの胸にライオンが付いていました。
いつ、どうやって付くことになったのか?経緯を知りません。
残念。
当時、質問して聞くべきだったなといま更に反省です。
「勇者エクスカイザー」の敵ロボットは恐竜モチーフだったので、考えてみると、子供の好きなモチーフは全て使っているなと改めて思うのです。
スポーツカー、ドリルタンク、ジェット機。
新幹線。
ライオン、恐竜、翼竜など、そして、神話のドラゴン。
改めて書いてみると、美味しいところ取りですね。
わたしは、この「勇者エクスカイザー」に参加し、「勇者シリーズ」を経験したことで、後の道が生まれたのだと思っています。
吉井プロデューサーの下で仕事を覚えたこと。
玩具連動型のアニメ作り。
オリジナルアニメ作り。
福田さんに出会えたこと。
優秀なクリエイターに出会えたこと。
わたしは、当時「勇者シリーズ」が本当に、マジに大好きでした。
設定制作としてロボットデザインに関われたこと、制作デスクとして企画作りやお話作りに関われたこと、いま思い出しても大々好きな作品です。
🔻ふるさとP写真録:今週の一枚

追伸:
YOUTUBE「ふるさとPアニメ道」もスタートしましたので、ぜひぜひチャンネル登録の上、ご覧くださいませ。
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古里尚丈(ふるさとなおたけ)
1961年5月3日生まれ。青森県出身。
1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。
2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』制作統括として参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。
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