第58回:『勇者エクスカイザー、設定制作2年目の自分がたくさんの宝物を得ました』
エクスカイザーでいまでも思い出すのは、谷田部(勝義)監督に怒られたことです。
わたしは、設定制作の仕事が2年目に突入していたのでちょっと慢心していたようなのです。
第8スタジオの「ミスター味っ子」の制作も終わり、スタジオが「勇者エクスカイザー」にシフトしたような秋、本編の作画打ち合わせがどんどん入ってきた頃です。
記憶としては演出の福田(満夫)さんの話数だったと思いますが、その話数のゲストの小物デザインについてわたしがある意味勝手に進めてしまったのです。
わたしは、パンフレットなどたくさん集めて、福田さんにOKを取って進めたと思うのですが、ある日谷田部監督に「何を勝手にやってるの?」と怒られてしまいました。
あの頃、谷田部監督は各話のゲストデザインは各話演出の指示を受けて進めて良いからと話していたので、その通り福田さんには相談しながらやっていたと思うのですが、何かわたしがミスったようです。
「そうか?」各話演出さんだけでなく監督にも情報共有していかないとやっぱり駄目なんだと思いました。
ちなみに、そのゲストデザインは、子供たちが使う小型カメラでした。
主人公コータくんの友だちのタクミくんが持つ、少し近未来的なデザインのカメラです。
子供たちが持つ場合は、親の物か?あるいは、何かしらのタイミングで買ってもらったものか?など踏まえて、お値段安めで玩具っぽいものか?など色々考えます。
それと、コンパクトカメラか、一眼レフカメラか、写ルンですなどどのタイプのカメラなのか?を考えます。
わたしは、中学生、高校生のときに写真部です。
青森県から上京後、東京の写真学校に通っていましたので、写真のこと、カメラの歴史、デザインから中身の構造などある程度理解していたのです。
だから、わたしが知ってるので、と、独断でやってしまったんです。
あとで、谷田部監督に自分が写真部、写真学校に行っていたことから勝手に進めたことを説明、謝罪しました。
福田さんは、軽くフォローしてくれました。
でも、それからは古里が何が好きで、得意なのか?を谷田部監督に伝える努力をしました。
ある意味「任せた」と言ってもらえるように、がんばりました。
話数が進むと、各話の演出さんが「今回のやられメカは古里くん考えてよ!」とか、「ロボットのバトルの場所などの説明図作ってよ!」とか。
色々、任せてくれるようになりました。
特に、演出の石踊(宏)さん、大(雷太)さんは任せてくれました。
制作も中盤になると谷田部監督も好きにやれば、的な感じになってきました。
少しは、自分自身のことをアプローチ出来てきたのかな?と思います。
いま、ぼんやりとしか思い出せないのですが、「勇者エクスカイザー」の最終回のあたり、谷田部監督に褒められた気がするのですが、何を褒めてもらったのか?が記憶にないのです。やはり、怒られた方を覚えていて、褒められたことは忘れるんですね。
福田さんも中盤以降になると「古里さんロボット好きだよね!」と、やられメカのアイデア出しなど任せてくれたりしました。
演出の高松(信司)さんはご自身でやられメカもバトルシーンなどのラフ設定も描いて下さいます。
第10話のやられメカ「トチョーン」のアイデアスケッチを描いてくださいました。
とてもツインビルが2体のロボットになるユーモラスなラフなのです。でも、放送時期は、まだ新都庁は造っている時期なので想像図を頼りにやられメカを作った記憶があります。
さらに、ダムをやられメカにした回もありました。そのやられメカの名前を「ゴンダム」と言いますが、これも高松さんが考えてくださいました。
演出さんでもそれぞれで、メカやアクションが得意な方もいれば、ギャグや人間ドラマが上手な方もいます。
「勇者エクスカイザー」時代、設定制作としてメインメカデザイン会議の他、シナリオ打ち合わせ、作画打ち合わせ、美術設定打ち合わせ、背景用ボード打ち合わせ、キャラクターメカの色打ち合わせ、絵コンテ打ち合わせなど立ち会いましたので、それぞれのパートのスタッフさんたちのことも見えてきます。
有り難いことに、わたしはメーカーとの打ち合わせにも出席していので、メーカーの考え方なども知ることが出来ました。
とにかく、色々なパートの役割やその個人の趣味嗜好を踏まえつつも、アイデア出しなどの能力も垣間見れたりしました。
この時期に、見て、知って、わたし自身も経験したことが後にプロデューサーになった時に、めちゃくちゃ役に立っています。
あと、わたしは「勇者エクスカイザー」のフィルム編集に良く立ち会っていました。
撮影が終わりオールラッシュ(カット順にポジフィルムを並べてつなぐこと)になると、編集マン、監督や演出家、プロデューサー、デスク、進行たちが試写を見ます。
見終わったあと、監督、演出立ち会いの元、編集マンとともにフィルム編集が始まるのです。
だいたい2分から3分オーバーしているのが普通の状態です。
オールラッシュ時にぴったりだと、編集(切る)ことが出来なくなり足して行くことになります。
原画マンがコンテのなかの演技をふくらませていることもありますし、逆にコンテより短くした方がテンポ良くなりストーリーが分かりやすくなることもあります。
あと、セリフを当てはめるとカットが長くないと、駄目な場合もありますし、逆もあります。セリフを足したり、あえて切ってしまったりもします。
編集とはスタートからゴールまで何分何秒と決められたフォーマットに合わせるために、切ったり足したりすることです。
絵コンテ(止め絵)から動画になるとキャラクターたちが動くだけでなくセリフ、間、効果音、音楽と言うファクターが加わるので、それらのことも考えて編集していきます。
さらに、音が付いてないフィルムは色々な粗が見えてしまいます。
皆さんもいつも見ているアニメの音量を絞って見てみてください。かなり、物足りないことに気がつくと思います。
だからこそ、フィルムはテンポ命だと思うのです。
そんな素の映像を見て、あ~気持ち良いアニメを見た!と言うことになったら、それに音が付いたらより素晴らしいアニメになると思う訳です。
とにかくたくさん編集を見たことは本当に勉強になりました。
1秒24コマのなか、「1コマ切る、切らない」を経験しました。
きちんと変わるんです!!
その1コマのこだわりが大切だと言うことを知りました!!
あと、設定制作をやって良かったと思うことがたくさんあります。
それこそわたしの癖になったことですが……。
「何故」「どうして」の問いかけです。
どうして、いまのデザインになったのか?
なぜ、そのアイデアを思いついたいのか?
なぜ、このデザインは格好良いのか?
どうして、面白いのか?などなど。
「理由」、「理屈」を考えること、それこそ「探求心」です。「探究心」が芽生えたことは良かったなと本当に思います。
また、演出家さんの気持ちを考える、など相手のことをより深く、相手の気持ちに寄り添って考えるようになりました。
それがプロデューサーになってからは、何故ヒットするのか?したのか?など色々考える癖が付きました(笑)。
制作進行時代では得られない、様々なテクニック、ノウハウ、そして考え方など心の在り方など覚えたり、深く考えたりするそんな設定制作時代2年生に古里でした。

古里尚丈(ふるさとなおたけ)
1961年5月3日生まれ。青森県出身。
1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。
2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』制作統括として参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。
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