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記事: 第63回:『太陽の勇者ファイバード、制作デスク奮戦記???』

第63回:『太陽の勇者ファイバード、制作デスク奮戦記???』

「太陽の勇者ファイバード」の仕事をやるにおいて、前の話数でわたしが設定制作から制作デスクになったことを書きました。

 

どうしてプロデューサーを目指すことになったのか?

その理由を書きたいと思います。

 

わたしは設定制作と言う仕事が好きすぎて、設定制作を長くやるにはどうすれば良いのか?を一所懸命考えた結果、プロデューサーが一番近い役職だと気がついたのです。

 

わたしは、日本アニメーションに入った頃、アニメ制作現場の仕事の分担を良く分かっていませんでした。

それこそ、監督とアニメーターしか業務のことが分かりませんでした。

ライター、演出家、色指定、仕上げ、背景、撮影、音響、編集などどんな仕事なのか?誰がやっているのか?何も知らなかったのです。

 

だから、日本アニメーションに入った最初のわたしは、監督になりたい、でした。

これは演出をしたいとか、ではなく、監督しか知らなかったからです。

高校12年生くらいに「アニメージュ」「月刊OUT」「MANIFIC(マニフィック)」途中から「アニメック」に名称変更しましたが、それらアニメ誌を見ることになります。

などなどのアニメ関連の誌面で、スタッフ名を知ることとなりますが、正直、あの頃の情報だと監督のことを知るのが精一杯でした。

 

と言うことで、監督の次に知ったのがアニメーター(原画マン)の名称でした。

 

わたしは絵を描くのは好きでしたが、あまり上手ではなかったのでアニメーターになりたいとは口が避けても言えなかったのです。でも、小学校時代、文化祭で絵を描くと金賞から銅賞のどれかをもらえていましたが……、でも、それはそれです。

絵を描くプロになれるほどの腕は持っていませんでした。

 

そんなわたしですから、日本アニメーション時代、制作進行から始めて色々業務を知ることで、自分のやりたいことであったり、わたしに合っていることが見えてくるようになったのです。

つまり、やりたいこととやれることは違います。

正直、日本アニメーション、ジブリを経て、監督になりたい気持ちはかなり減っていました。でも、では何をやりたいのか?については、見えていなかったあの頃です。

 

ジブリを辞めた後、本当に色々考えて、アニメに関係した仕事をやることは決めました。

そして、「ミスター味っ子」の中盤から設定制作を担当したことで、わたしのやりたいものがだんだん見えてきたのです。

 

ですので、「勇者エクスカイザー」の中盤で吉井さんに「この先どうする?」と問われた時についに目標を定めることが出来ました。

 

「プロデューサー」になります、と。

 

「太陽の勇者ファイバード」から制作デスクデビューとなるのですが、実は、あの頃、メインロボット、メインキャラ、メインの美術などの設定制作はやっていました。

浅井(薫)さんに助けられました。

そして、新しい設定制作も入ってきましたので、浅井さんとともにおふたりで各話の設定制作をやることとなります。

 

わたしの業務は、メインの設定制作をやりつつも徐々に新しい設定制作さんに渡していきます。

 

制作デスクとして、各話の対応仕事、スケジュール調整などやるのですが、演出家が辞めていくので新しい演出家を入れる、同様にアニメーター(原画マン)が辞めて行くなか新しいアニメーター(原画マン)の確保が大きな仕事です。

 

ロボットを描きたい方がいないか?と演出家に聞いたり、アニメーターに聞きました。

そして、初めましての方々にいきなり電話をして、設定書などを持って会いに行って、プレゼンします。そして、「やるよ」と言ってくれる方もいますが、他の仕事が忙しくてやれないと断られるのも普通でした。

 

でも、ここで知り合ったアニメーターと、次の作品で参加してくださったり、後々数年後に一緒に仕事をやることになったりするのです。

縁を作る大切さを感じます。

 

「新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGASIN」「GEAR戦士電童」「機動戦士ガンダムSEED」の重田(智)さんに、当時勇者シリーズの変型合体シーンの原画を描いていただきたく連絡をして絵コンテと設定を持って伺いました。

ですが、お忙しいと言うことで参加ならずでした。

それから、約5年後に「新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA」で一緒に仕事をやることになるのです。

 

バタバタしていた頃、いま思い出しても辛い事件が起きたのです。

 

制作進行が病気になって、代わりにその担当話数をわたしが受け持つことになりました。「勇者エクスカイザー」でも同じことがあったのですが、今回は、その進行さんは戻らないことになりました。

本人は、すごくやりたいと望んでいたので、とても残念でした。

 

さらに総務から、人事的に進行をすぐに補充出来ないとのことで、わたしが代わりに1本担当進行することになりました。

 

担当話数のアニメーターは、佐々門(信芳)さんでした。

虫プロ時代からのベテランなのです。

さらに、1話数をひとりで全ての原画を描くのです。

 

佐々門さんは、「超電磁マシーンボルテスV」「闘将ダイモス」「無敵ロボトライダーG7」などのキャラクターデザイン・作画監督です。「無敵超人ザンボット3」の最終回の原画マンとして認識していたわたしは「勇者エクスカイザー」の作画打ち合わせで最初お会いした時は、ちょっとドキドキでした。

 

当時、テニスをやっていた佐々門さんは、日焼けして真っ黒になった顔、腕で作画打ち合わせに来るのですが、とてもさわやかで健康的です。

一方わたしは、青白い自分の腕を見て、トホホ状態になったものです。

 

さて、佐々門さんの担当になったわたしは、毎日原画回収に行くスケジュールを作れないでおりましたら電話口で「数日おきに来たら良いよ」、とか「宅急便で送ろうか?」と話してくださるのです。

さすがに、宅急便を頼むのは辛いので、2日おきに行くことにしました。

そうすると、2030カットの原画の上がりを渡してくれます。

34日くらい行けないでおりますと、30~40カットとか上がるのです。

普通のアニメーターは、13カットで多くても5カットくらいです。

1カットも上がらない人もたくさんいます。

でも、佐々門さんは、1ヶ月で300カット上がります。土日は休みますので、110数カット描いていることになります。

 

実は、雨が続くと不思議なことが起こるのです。

それは何か?

 

答えは、原画の上がりが爆上がりするのです。

そこで、その理由をたずねてみました。

「長雨でずっと家にこもっているので、仕事しちゃったよ」と。

普段は、テニスをやっても原画が上がるのですから、テニス時間も仕事をしたんだよ、と言うことでした。

 

わたしは、原画上がりが増えるのは嬉しいのですが、毎日回収に行けないのが辛かったです。

上がりがたくさんあるのに、制作進行のわたしがそれを回収に行かないってことは相手に対して失礼ですよね。きちんと受け取って、「ありがとうございます」と感謝を伝えたいではないですか?

 

いつだったか佐々門さんに質問したことがあります。

「佐々門さん、テニスをやり出した理由は?」と。

「健康になるためだよ。自分が病気になったら家族が困るからね」。

確かに、会社員ではなく鉛筆1本、腕1本で仕事をしているのですから、健康でいなければならない。さらに利き腕に筋力をつける必要があることを理解しました。

でも、あの頃、わたしの目には、テニスをするために仕事、原画を描いているように見えました。

 

「今度大会に出るから、原画の上がりが悪くなるので、ごめんね」

と言われたことがありますが、少し減るだけでしたので何も問題ありませんでした。

 

佐々門さんを見たわたしは、仕事にしても、健康にしても、いつものことを「持続」することの大切さを知りました。

 

持続出来ることは、強靭な「精神力」が持っている人なんだと思うばかりでした。

 

佐々門さんに助けてもらいながら、そして、各進行さんに助けてもらいながら、担当話数を納品出来ました。

その頃には、新しい進行さんも加わっていましたので、ド新人ではありましたが、その彼に次の話数を担当してもらいました。

 

新人デスク、設定制作も兼務、制作進行がひとり離脱。

演出家が辞める、アニメーターも辞めるなど、他にも細かいトラブルが続きました。

「これは、何かの呪いか?」と思ったりもしました。

でも、設定制作など新しく加わったスタッフも少し時間が経つと慣れて行きます。

いま思うと「太陽の勇者ファイバード」の体制が徐々に出来て行ったことが、わたしに取って試練のひとつであり、後のノウハウとなったことを思い出します。

 

改めて考えると、新人制作デスクのわたしは、当時のスタッフに迷惑をかけていたのだろうと思い出します。

制作デスクとして、「太陽の勇者ファイバード」「伝説の勇者ダ・ガーン」と続けて自分なりに納得したかたちになったのは、「勇者特急マイトガイン」くらいからだった気がします。

 

プロデューサーになった時も、かたちになるまで23年かかりました。

新しい役職、業務に慣れて、自分なりに問題点を洗い出して、諸々応用出来るようになるには、これくらいの時間がかかると思うのです。

可能ならもう少しだけ時間を短くしたいものだと思うのですが、以降、起業してからも新しいことに臨む時は、ある程度の時間がかかるので、なるべく今までの経験を踏まえてショートカットして短めで行きたいと考えています。

 

ですが、新しい現場と新しいスタッフと新しい業務となると、かたちになるには時間がかかるので、こればかりは歳を取ってもこれは変わらないなって苦笑してしまいます。

 

 

 

古里尚丈(ふるさとなおたけ)

196153日生まれ。青森県出身。

1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。

20112月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』制作統括として参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。

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