第66回:『舞-乙HiME、企画の始まりです』
2004年。
あの頃、「舞-HiME」の制作状況として、シナリオ打ち合わせ、絵コンテ、作画などの作業がどんどん進んでいました。
そして、2004年1月のある日……。
わたしが一番に信頼をおいているバンダイビジュアルの国崎プロデューサーに「舞-HiMEの2作目を作りたい」と相談しました。
「それも、舞-HiMEの1年後の話であったり、3年後の話でなく、舞衣、なつき、命、静留などの魅力的なキャラクターを用いて別な新しい物語を作りたいと話しました」。
わたしは、それまでに出来たシナリオ、キャラクターデザイン、絵コンテなどを見ると、ライターの吉野(弘幸)さんの書く物語がとても好きになっていました。
素晴らしいキャラクターデザインを描いてくれている久行(宏和)さんの絵に釘付けです。
ワクワク出来る絵コンテを描く小原(正和)監督。
とにかく、このキャラクターたちの活躍をもっと見たいと思いました。
違うドラマも見たいと思いました。
キャラクター推し。
当然、物語、世界観も大切ですが、視聴者の皆さまにキャラクターを愛してもらう、好きになってもらうために26話数半年間で放送が終わらせず、続けることが良いと考えたのです。
これは、勇者シリーズのように、1年間放送のアニメを経験していたので、1年間見てもらいたいと頭の片隅にあったのかも知れません。
そこで、国崎プロデューサーに相談したのです。
返答は、「それで古里さんは、どんな物語をやりたいの?」でした。
わたしは、「ファンタジーになるけれど、少女たちがプロとして変身して、何かと戦うみたいな、例えるとアレクサンドラ・デュマの書いた「三銃士」のような物語を作りたい」と話しました。
「三銃士」とは、若きダルタニアンが田舎から出てきて、銃士隊に入って、立派な銃士になる物語です。
いわゆる、田舎から出てきたアリカがガルデローベに入学して立派なオトメになる物語と何かがリンクしますよね。
そうなのです。舞衣が主役ではなく、新人のキャラクターが主役なんだけど、なつきも命も静留も役者として新しい物語のために新しいキャラクターを演じる、そんな企画にしたいと話しました。
国崎さんに相談したことを、買い物のためドライブ中の社内で家内に話しました。
すると、「宝塚を観てくればいいよ」と言うのです。
「え、宝塚?」
宝塚って兵庫県の宝塚市でやっている女性ばかりの舞台の宝塚?と問いかけました。
そうすると、「何を言っているの。東京は有楽町に劇場があるわよ」と。
わたしは、宝塚の舞台を東京で観られることを知らなかったのです。
兵庫県宝塚市にある宝塚大劇場でしか観られないと思っていました。
わたしの知識はそんなものです。
ミュージカル「エリザベート」「モーツァルト」を帝国劇場で観ました。
そこで、「モーツァルト」に感動して「舞-HiME」の企画を考えたのです。
でも、宝塚の舞台は観たことはありませんでした。
すると、家内は、「宝塚月組の舞台の演出家は、あなたの好きなエリザベートとモーツァルトの演出をやった人だから気にいると思うよ」と。
勉強になると思うから行ってきなさい、とチケットをくれたのです。
たまたま自分で行こうと考えて買っておいたチケットをわたしがもらうことになりました。
2月だったか3月だったか、人生初の宝塚観劇となりました。
タイトルは「薔薇の封印」、ドキドキしながら、座席につきました。
客電が落ちて、劇場内が真っ暗になります。
そこにアナウンスが始まり、幕が上がります。
舞台では、数名のキャラクターが脇から登場し状況の説明をしてはけて行くと、現代から過去に世界が変わっていきます。
目の前にきらびやかなコスチュームのキャラクターが続々登場します。
テンポ良く1300年代テンプル騎士団の時代のお話が始まります。
そして、1666年、舞台はパリに移り、太陽王の時代の物語になります。
主人公の紫吹淳さんの卒業公演でした。
物語は、主人公が永遠の命を得て、時間を旅するのです。
1幕が終わり、幕間では、いままで繰り広げられていた派手な世界に茫然自失。
第2幕になると、第2次世界大戦のベルリンのお話。
軍服を来た男役の格好良いこと、見惚れます。
そして、現代に物語になります。
物語の面白さだけでなく、主人公であるトップの見せ方。
さらに、2番手、3番手、4番手、5番手と宝塚観劇初心者のわたしでも、すぐに誰がスターなのかが分かるのです。
とにかく、主人公が目立つのです。
スポットライトの光量が強く白いです。
2番手のライトは少し暗いのです。
当然、セリフの分量、歌の量、出番の数も主人公、2番手以降とそれぞれ少なくなっていきます。これは、色々な意味で分かりやすく、推しのキャラ、推しのスターを見つけやすいです。
このとっても見やすい舞台構成は勉強になると思いました。
帰ってから、宝塚に絡む本をたくさん買って読みました。
当時、宝塚90周年でした。どうして宝塚が生まれたのか?
90年もどうやって続いて来られたのか?
特集本がたくさん発売していましたので、色々手に入りました。
知らないことを勉強することで、わたしが今後作る企画の役に立つと考えたのです。
宝塚歌劇を作った「小林一三」さんのことを知ると、阪急電鉄として線路を作り、電車を走らせる。さらに、街作りがあり、その一環として宝塚歌劇があることを知るのです。
企画ってなんぞや?の勉強になりました。
宝塚東京劇場の舞台で観たものは、男役のトップスターの芸です。物語の面白さもあるのですが、女性が男性を演じる芸を見ると言うことで、とても面白いと感じたのです。
これはプロだ!って思いました。
プロの芸だ!と。
さらに、国崎さんに話したことがよりまとまってきました。
「舞-HiME」の次の企画は、新人主人公が田舎からやってきて、メイド養成学校に入学し、切磋琢磨し卒業して王様、大統領などのプロのボディガードとして起用されていく。
波乱万丈で破天荒な主人公の成長ストーリー。
宝塚音楽学校をモチーフとしてメイド養成学校を考えました。
宝塚大劇場、東京劇場と言う舞台に上がることを、王様、大統領などのボディガードになることと考えました。
あと、アニメの売り物のひとつとして変身、コスチュームチェンジをしたいと思いました。
この時の仮タイトルは、「舞☆MAiD(マイスターメイド)」と言います。
ですから、プロのボディガードの呼称を「オトメ」ではなく「メイド」としていました。
春になり、花組の舞台だったと思うのですが、チケットを2枚用意して国崎さんも連れて行って観てもらいました。
ライターの吉野さんに、3月頃だったか、それまで考えたことを踏まえて説明し、企画書を書いてもらうことになりました。
吉野さんの読解力、そしてオリジナルアイデアの発想力と想像力が素晴らしいです。
わたしの小さな種が、素晴らしいものに育って行くのです。
特に、物語のなかに、オトメの仕事が楽しいことばかりでなく、友達とでも戦うことになる、代理戦争と言うモチーフをドラマを入れてくれたのです。
これは、感謝です。物語に厚みが出ましたし、また、色々なメッセージを視聴者に送ることが出来たと思っています。
そして、出来上がった企画書をブラッシュアップし、久行さんにキャラクターデザインを描いてもらうことになるのですが、……、久行さんは「舞-HiME」の仕事が山のようになっていましたので、本当に本当に大変なことをお願いしてしまいました。
「舞-乙HiME」を終えた後に、「舞-HiME」と「舞-乙HiME」の間に半年間のブランクを取ったのですが、ここは1年間取るべきでした。
わたしのスケジュールの捉え方が甘かったです。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「舞-乙HiME」は、宝塚のチケットをもらって舞台を観たことで生まれた企画です。
もし、家内がそのチケットを持っていなかったら、また、わたしに譲ってくれなかったら、ちょっとしたことで進む道が変わるのです。
いま思い出しても、当時の家内の機転に感謝しかありません。
注:「エリザベート」は、ウィーン・ミュージカルとして1992年公演。脚本・歌詞はミヒャエル・クンツェ。音楽はシルヴェスター・リーヴァイ。
日本では、宝塚版として1996年公演。帝国劇場版として2000年に公演している。
「モーツアルト」は、ウィーン・ミュージカルとして1999年公演。脚本・歌詞はミヒャエル・クンツェ。音楽はシルヴェスター・リーヴァイ。日本では、帝国劇場版として2002年に公演している。
「エリザベート」「モーツアルト」、宝塚、帝国劇場共に日本側の潤色・演出は小池修一郎。

古里尚丈(ふるさとなおたけ)
1961年5月3日生まれ。青森県出身。
1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。
2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』制作統括として参加。現在、ゲーム等参加、新企画を準備中。
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