記事: 第97回:「ふるさとPアニメ道のルーツは、日本アニメーションに入社したことで始まります」
第97回:「ふるさとPアニメ道のルーツは、日本アニメーションに入社したことで始まります」
わたしは、写真専門学校を卒業しせんでした。
当時、毎日新聞の新聞奨学生として、朝と夕方新聞を配って、学校への支払いをしている身でした。
カメラとレンズを買ったり必要な機材を買ったり、フィルムを買ったり、勉強のために色々買う必要がある時期でした。
少しだけお給料をもらえるのでそのお金で買っていましたが、ちょっと予算が足りない感じでした。でも、カメラなど買ったんです。どうしても2台目が欲しかったのです。
さて、どうして学校を卒業しかったのか?です。
それは、とても単純です。
わたしに写真を撮る才能がなかったのです。
カメラは好きで、小学3年生から撮っていました。
中学2年生から高校3年間写真部でした。
モノクロ写真はたくさん撮影しました。
そして、プロカメラマンになりたくて青森県から東京に来たのです。
でも、学校に行って色々なことを知ると、自分に才能がないことがわかるのです。
正直、わたし自身どんな仕事をやるべきか?
わからない日々が続きました。
西荻窪にある写真屋さんでアルバイトをしながら、悩みつつ模索していました。
そして、1982年21歳の秋「日刊アルバイトニュース」を見ておりましたら、そこに「日本アニメーション」が制作進行の募集をしていたのです。
ピーンと閃いて、「これだ!」と思ったのです。
確かに、子供の頃から漫画が好きでした。
さらに、アニメを観るのも好きでした。特撮も好きでした。
わたしが、10代後半のアニメは、魅力的なタイトルがたくさんありました。
「機動戦士ガンダム」が高校3年のときに見ました。
他にも、「ルパン三世カリオストロの城」「家なき子」「宝島」「エースをねらえ!」「地球へ・・・」などなど。
とにかく、当時アニメが元気に見えたのです。
まだ、ゲームは黎明期でそちらに目は向いていませんでした。
また特撮や実写ドラマには、あまり興味を持ちませんでした。
良く考えると漫画が大好きだったので、出版社に入ることを考えても良いと思うのですが、実は考えたことがないのです。
正直漫画は、わたしにとって趣味にしておきたかったんですね。
と言うことで、11月に日本アニメーションに電話をしました。
「11月◯日、◯時に履歴書を持って来てください」とのことです。
日本アニメーションがどこにあるのか?も知りませんので、色々調べて当日行きました。
京王線、聖蹟桜ヶ丘駅徒歩15分くらい。
正直、遠いのです。川沿いを少し歩いて、坂道を登って行きます。
総務部の部長さんに会って、面接を行って、社内を回って見せてもらいました。
わたしは、アニメーションの制作現場のことを何も知りませんので、物珍しく見ました。
若い方々がたくさんおりました。
見たこともない変わった机がたくさんあります。
それは、ガラスのはまっている作画机でもあり、棚が前にある仕上げ机でもあります。
美術さんの机にはポスターカラーがたくさん置いてあります。
一番驚いたのは、部長さん「ここがシャワールームで洗濯機も置いてあるので使っていいよ」と「ここが、仮眠室」と言うのです。
わたしは、さて、ここは何だ?と疑問だらけです。
理由は、入社して1週間後くらいに色々知るのです。
劇場版「超人ロック」のときに、3ヶ月くらいアパートに帰れなくなるのですが、そのとき仮眠室もシャワールームも洗濯機もお友達になりました。
あ、でも、季節が変わって洋服のチェンジにアパートに寄ることはありました。
他に泥棒が入っていないか?火事などなっていないか?と、1~2週間に1回くらい外注周りのときに寄っていました。
そんな20代前半です。
でも、テレビシリーズを担当している時は、1ヶ月に半分の2週間は帰宅できていましたので辛いと思ったことはないのです。
それが普通だって思っておりましたので……。
ただ、ひとつだけ、アパートの家賃を払うのが勿体ないと思ったことは何度もありますね。
さて、12月に入社しました。わたしの他に4人同期がいましたので、合計5人?が入社したのです。ちなみに、そのなかのひとりはすぐに辞めました。数年後にひとり辞めました。
そして、いまアニメ業界に残っているのは、わたしだけでしょうか?他の制作はみんな辞めています。演出家に転向した人がいまどうしているのか?ですね。
年が明けて、1983年。
わたしは、「超人ロック」のプロモーションビデオの制作の手伝いをしました。
そして正式に配属されたのはテレビアニメ「不思議の国のアリス」班でした。
どの話数だったか?忘れていますが、進行として2話数担当していると思います。
ルイス・キャロル原作のテレビアニメーションです。
これはドイツとの合作だったと思います。
また「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」の2作を合わせて、オリジナルストーリーとして展開する物語でした。
アリスの横に「ベニー」と呼ばれる小さいうさぎのペットキャラがいました。
このアリスのキャラクターデザインは熊田(勇)さんです。スタジオアローのメンバーだったと思います。テレビのアニメのコマーシャルをたくさん作っていたことを思い出します。
日立のエアコン「白くまくん」の3代目のキャラクターデザインもやっています。
わたし、スタジオアローに行ったときに、「白くまくん」のコマーシャル制作として、動画からセルに白い(青だったかも)マジックでトレスしているのを見ているのです。そのあと、セル絵の具で色を塗って、背景と合わせ撮影するんだと思いますが、マジックでのトレスが珍しいので覚えているのです。
熊田さんは、「こぐまのミーシャ」「クオレ物語」「ふしぎなコアラブリンキー」「へーい!ブンブー」「アニメ80日間世界一周」などのキャラクターデザインも手掛けています。
まるで海外のイラストレーターさんがデザインをしているようなちょっとリアルな絵柄でした。
でも、「不思議の国のアリス」では、アリスの表情やポーズは中村和子さんが担当していましたので、少しデザインが日本ぽくなっています。
実は、熊田さんとの会話でいまでも覚えていることがあるのです。
わたしの話数で、どうしても、馬車のデザインを描いてもらわないと作画に入れないカットがあったのです。
そこで、設定発注をするのですが、わたしがスタジオアローの本棚に並んでいる書籍のなかで、絵コンテにぴったりな馬車の写真をみつけたので、熊田さんに「この馬車が時代背景や絵コンテに描いているのとも似ているので参考に鳴りますか?」と行って見せたのです。
そしたら「古里くんは、演出家になりたいの?」と問われたのでした。
確かに、その頃は制作で行くのか?演出家になるのか?と考えている時期でもあったので、「はい、演出家になりたいな、とは思います……」と、実ははっきりと決めていないのでが、濁して答えたのです。
「古里くん、演出家向いていると思うよ」と、熊田さんから意外な言葉をもらえたのです。
熊田さんとしては、絵コンテをきちんと見て、時代も考えて、発注しているので、演出家になりたいのかな?と思ったようでした。
わたしは、演出家にはなりませんでしたが、サンライズで設定制作となり、キャラクターやメカ、美術などの設定発注をやりました。
設定制作を担当した2年間は、何かあると、ふと熊田さんの言葉が頭のなかに響くことありました。
わたしは、熊田さんが言ったような演出家にはなれませんでした。
でも、設定制作として、クリエイターが設定を作るためのサポートをしているのが、ちょっと不思議な気がするなぁと、ふとしたときに熊田さんを思い出すのです。
「不思議の国のアリス」班としてとても良かったのは、アニメーターの森(康二)さんと一緒に仕事をしたことです。あの頃は、森さんは50代中盤だったのでしょうか?椅子の上にあぐらをかいて座り、佇まいが仙人のようでした。
大好きな大先輩です。
森さんの描く原画はラフでしたが、パラパラするととても動きがわかるのです。
温かい絵柄です。
東映動画「長靴をはいた猫」のペロのデザインが有名です。
あと、「太陽の王子ホルスの大冒険」のヒルダのキャラクターデザインは素敵の最大級です。
「山ねずみロッキーチャック」「フーセンのドラ太郎」などのキャラクターデザインもやっています。
どうぶつを擬人化して、ちょっと等身低めのデザインがわたしは好きでした。少し丸っこいのですが、可愛いだけでなく、どのキャラも憎めないのです。
わたしは、結婚のお知らせをしたときに無理を言って、雄猫と雌猫が2匹寄り添うイラストを描いてもらいました。いまも、飾っています。
「本当にありがとうございます」。
森さんと同じ作画室の動画チェックの武内(啓)さんとは年代も近く、色々会話しましたね。
この武内さんは、後にサンライズで「絶対無敵ライジンオー」のキャラクターデザイナーとして再会します。
色々思い出しますが、夜中の外注周りが多かったのですが、たまに昼に出ると、京王線、JR線、西武新宿線、西武池袋線とこの4線の踏切がなかなか開かないので困ってました。
ひどいときは何分も待たされるのです。
実は、車のエンジンを切ってコンビニに買い物に行ったことがあります。
あの頃の京王線の開かずの踏切は、ついに高架になりました。
JRはどうなんだろ?
西武新宿線は、いずれ高架式になると言われていますが、まだまだ時間はかかりそうです。
上井草駅もまだ高架になっていませんね。
西武池袋線の当時良く通った場所は高架式になっていますね。
踏切の選び方で、まだ混雑しますが、でも、変わっていますね。
でも、40年経っているのですから、きちんと変わって欲しいですね。
わたしのアニメのルーツ。
アニメの始まりは、この日本アニメーションからです。
色々知り合ったアニメスタッフさん。
アニメの作り方を教わった会社「日本アニメーション」と、作品「不思議の国のアリス」なのです。

古里尚丈(ふるさとなおたけ)
1961年5月3日生まれ。青森県出身。
1982年日本アニメーションに制作進行として入社。1985年スタジオ・ジブリ『天空の城ラピュタ』制作進行。1987年サンライズ入社『ミスター味っ子』『勇者シリーズ』等、制作進行・設定制作・制作デスク・APを務め『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』からプロデューサー就任。『星方武俠アウトロースター』『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』他、オリジナルアニメーションを14作企画制作。
2011年2月企画会社、株式会社おっどあいくりえいてぃぶを設立。『ファイ・ブレイン~神のパズル』や『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』で企画・プロデューサー。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』企画協力、『グレンダイザーU』アソシエイトプロデューサーとして参加。現在、漫画原作、新企画を準備中。



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